卒業「できない」アイドル達

先日Ra*bitsのイベントがあった。TLの雰囲気から察するに、アイドル仁兎なずな君カムバック的な内容だったらしい(スト解放済みではあるが未読)。

これからもアイドルとしてのなずなを見れることが嬉しい人もいるだろうし、私もM!!で歌い踊ってくれるなずなを見ることができるのは大変嬉しいと思う。

と同時に、ゲームの時空が進んでしまったことで、架空の人物とは言え彼の人生を「彼が一番望んでいた道」から「我々が望む道」へ向けて(もしくは寄せて)しまった可能性も無きにしも非ずなんじゃなかろうか、みたいな気持ちにもなってしまった。
もちろん、ズ!の時代からライターさんは今回のイベストのような未来を描いていたのかもしれないけれど、それは私にはわからないので。

今回に限らず、ズ!!に全アイドルが継続して出ます、と発表されたときも私は同じようなことを思った。
もちろん全キャラ継続というのは単純に嬉しくはある。
それに、私はあんスタに関しては「あんスタのオタク」というよりは「Valkyrieに惹かれている人間」なので、(彼らに限ってその可能性はとても低いのだが)「彼らがアイドルをしない=あんスタに出なくなる」ことになったら、私はあんスタをやらなくなる可能性が高いと思う。
(これは、「だからあんスタが続く限りValkyrieを出してほしい」という訳ではない。そういう人ももちろんいるだろうし、それが良いでも悪いでも無いと思うが、あくまで「私は」、そういうスタンスではない。
ライターさんが、「あんスタが稼働している範囲内の時空内においてValkyrieはアイドル活動をしている」と思っているなら、もちろん彼らの姿を見せてほしいし、出番はあるに越したことは無い。それは嬉しい。
でも、もしも「このタイミングで彼ら(のうちのどちらか)はアイドルでやめることを辞める/休む」と思い描いているのであれば、それをそのまま描いてくれたら嬉しいと、「私は」思う。

これは、Valkyrieに限った事では無く、他のすべてのキャラクターについてもそうだ。私は、「彼らが本当に選びたい道」を選んでほしいと思っているし、私達のせいである意味それを「阻んでしまっているのだろうな」とも思っている。
高校を卒業したらアイドルは辞めようって思ってる子も、いた / いるんじゃないのかなぁ…

三次元のアイドルが相手なら、例えそれがどんなに自分にとって受け入れがたいものだったとしても、本人の発言や行動が「正解」であり「事実」だ。
でも、二次元は「実在しない」分、「匙加減一つでどうにかしてしまうこともできる」分、色々大変だなぁ、と思う。

ズ!!がズ!と同じように一年ループものになるのかは今のところはわからないけど、「アイドルを辞めるアイドル」の話も、私は見たいんだけどなぁ。
まぁでも、現実的にはそういうのって難しいだろうし、それこそ「それは三次元や二次創作で味わっとけ」って話なんだろうね…

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10

HPを開設して10日ほどが経過した。
創作コンテンツは全然増えないけれど「二次創作を通じて考えたこと」は適度に書けた方じゃなかろうか。というかやっぱり私はこういうのを150文字以上の文章でだらだら書くのが好きなんだなぁ~と思った。ちょうどそういう時期でもあったんだろうね。
今のところはこのページに書くのは「二次創作を通じて考えたこと」にテーマを限定しているのでここもあくまで「私のほんの一部」でしかないけれど、人間が考えていることを覗くのが好きな人がゆるっと見に来てくれるサイトになっていったらいいなぁ。

それにしても、「ページ内で他人と数値の比較がされない場所」を持っているって気が楽だな…そこまで気にする訳じゃないけど、「100%気にしません!!」と言えるほど人生達観しているわけでもないので…
SNSは「お外で外食や立ち話をしている感じ」で、HPは自宅でゴロゴロしてるところにお友達が遊びに来てくれるみたいな…感じ…?

ゆるゆるやっていくのが長続きのコツだと思うので、無理せず楽しく続けていけたらと思います。

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「FF外通知切ってます」「カプ名」をプロフに表記する意図とは

私は人様のTwitterのプロフ欄を読むのが好きなのですが。

「同担拒否」と書いてあった場合、その文字だけでもなんとなく書かれた意図が伝わってくるじゃないですか。おそらくは、「同担さんとの交流は自分の心の平穏が保たれませんので、同担の方はフォローやリプライ等ご遠慮していただけると幸いです」ってことですよね。

なんですが、「FF外通知切ってます」とだけ書かれていると、「どういう意図を汲み取ればいいんだろうな?」と悩むんですよね。
FF外の通知を黙って切っているのではなく、「私はFFの通知を切っている人間です」とわざわざ表明しているということは、「そこから何かを感じ取ってほしい」ということだとは思うんです。
そしてこれはあくまで推測ですが、「FF外からのいいねやRTの通知を切っています」ということを伝えたいというよりは、「FFからのリプライや引用RTの通知を切っています」ということを伝えたいのかな、と理解しているのですが、「だからつまり、何が言いたいか」の部分は、人によって違うのかなぁと思っていて。

例えば、「通知を切っているのでリプに気付くの遅くなっちゃうかも、ごめんね!」なのか。
例えば、「FF外からリプもらっても返す気はないです、というのをそのまま書くと言葉がきついのでそれは避けたい、という気持ちをお察し下さい」なのか。
例えば、「ただ、なんとなく自分のTwitterの設定を表明してみたかっただけ」なのか。
もちろん、もっともっと色々な選択肢があると思うのですが。その中の、一体どれなんだ???? と思うんですよね。

さらに、そう書いてあるプロフ内にマシュマロやお題箱などの匿名メッセージツールへのリンクがあったりすると「ん…? FF外の『特定の個人』とはやりとりしたくないけど『メッセージ自体』は受け取りたい、場合によっては他の人にも見える形で返答をしたい、ということ…???」と頭がますます混乱します…


カプ名表記も二次創作系アカウントにはよく見られますけれども、これも考えてみたら「何のために表記しているのか」は人によって違うのでしょうね。

例えば、同カプの人に見つかりたい。交流したい。作品を見てほしい。
例えば、明確に苦手なものがある方へ向けた「ここからはこういうものが流れるよ」という親切アナウンス。
例えば、「私は他カプ人間とは関わりたくないことをお察し下さい」という婉曲表現。
例えば、「これが私のお気に入り♡」宣言。
私の場合は、「これが私のお気に入りで~す!」という立場表明の意味合いが強いかなと思います。あとは正直、女性向けと呼ばれるジャンルはカプ名表記しろ派の人が結構多いのかな~?と勝手に想像してビビッて書いている部分もあります!ははははは!!普通の小心者なので!!!

自分以外の方に関しては
「カプ名をプロフに書いておいてくれたら『そのカップリングについてツイートしたり作品を書いている人が手っ取り早く探しやすい』という意味で、便利で助かると言えば助かる。
でも別に『カプが一緒だからフォローする』という訳でも無いし、『日常生活では自分のプロフを首から下げて生活してないのに、SNSではプロフを下げてるのが当たり前、みたいな感覚があるのって不思議だな~』と日頃から思っているし、別にプロフを記入しない自由もあると思う。
その人がどんな人かはその人のツイートから私が勝手に感じ取るので、別にカプ名は書いてあってもなくてもどっちでもいい」
…みたいな感じです。

そんなわけで、私は今日もプロフ欄を覗いては、「FF外通知切ってます」やカプの表記を見かける度に「この人にとって、これはどういう意図が込められているのかな?」と考える日々を送っているのでした。

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なぜ私が創作をするのか?の内訳を考える

・推しカプ/関係性に対する行き場のない気持ちの発散
・物語を楽しんでほしい気持ち
・創作を通じて生まれる人々との交流
(割合はその時々による)


以上。

という感じなんですがそれでは身も蓋もな訳なんで、3つ目の「創作を通じて生まれる人々との交流」について、もう少し言葉にしてみようと思います。

人と人との距離感や接し方って、「ちょうどいい」が個々の関係性によって異なると思うんですよね。
「距離が近ければいい」「いつも一緒にいる方がいい」「全てを把握している方がいい」というわけでもないですし、同じ相手でも、時期によって「ちょうどいい」距離や接し方って変わってくると思うんです。

Twitterで割と定期的に「アカウント主は絵だけでなく日常話などのツイートもしたいのに、絵だけ載せろと言ってくる人がいる問題」って話題になる気がするんですが。
それ自体については「アカウントの運用の仕方は公序良俗に反しない限りその人の自由なんだから周りがとやかく言うことじゃね~~~~!!!」と思っているのですが、そういう問題って、双方の「求めるもの」への齟齬によって発生しているんだろうなぁ、とは思うんですよね。

そして、私自身は創作をすることで人との交流のきっかけになったらいいな、と思っているところがありますが、中には私の「創作物」だけを求めている人もいるでしょうし、それはそれでいいな、と言うか、私がいい悪いのジャッジをする立場になんておらず、その方にとっての私との「良い距離」なのかな、なんて思うんですよね。
もしもその人が私に「TwitterやHPなんてやってないで創作だけしていろ」と言ってきたとしたらそれは「いや、なぜ私があなたの思い通りに私の人生の時間を使わねばいけないのか」ですが、相手が私の発しているものの中から静かに自分の好きなものだけをチョイスして私に関わるという選択肢をとる分には、全くの有りだと思うんですよ。

普通に日常を過ごしていたら、ツイッターやHPで雑談をしているだけだったら全く交わらなかったその人と私の間に、作品を通じてだけでも、そして一方通行であったとしても何らかの点や線や関係性が発生するとしたら、それってすごいことだしいいよなぁって私は思うんです。だって、作品がなかったらその人と私の間は「無」だったんですからね。そこに、細かったとしても糸が張られるっていうのは、私にとっては「創作した甲斐があったな~」なんですよね。

まぁ理想を言えば、私の創作からあなたにどんな感情が生まれたかを教えてもらえたら最高にハッピーなんですが、それは私の「だったらいいな」であって「ねばならない」ではないので…
「皆さん、好きな距離感で、好きな方法で私と関わってみて下さい~ 私もそうさせてもらいます~ 『関係性』を築くとしたら、お互いの手ごたえを見ながらゆっくりやっていきましょうね~」という気持ちです。
という話でした。

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一般人ではない人同士の結婚とおけパさんとコンパクトにまとまった本の話

有名人、と言うか「一般の方」ではない人同士が結婚した場合、二人の「格」が違う場合に「どうして●●さんが□□なんかと?」「どう考えても釣り合わない」みたいに言われる風景をよく見ます。
その度に「その人にとってのお相手の価値はその人が決めるものだし、そもそも交際・結婚における『釣り合う、釣り合わない』ってなんだ…? 勝負事の対戦相手とかなら余りにも実力差がある場合に『釣り合わない』のはわかるけど、仕事における市場価値とパートナーシップにおける相手の価値って同じ尺度では無くないか…?」みたいな感情が湧くんですよね。
私がそれぞれの人をどう思うかは私の勝手だし、まぁその二人の組み合わせに対してどういう感想を抱くかも勝手と言えば勝手なのだろうけど本人達からしたら大きなお世話以外の何物でもないだろうし、「私は全く知らない、その人達同士の間に流れるもの」を知っているからこそその方々はパートナーであることを決断したのだろうから、そう思えるお相手に出会えて良かったですね、以外の何物でもないはずなのだが、カップルを見ると思わず何か言いたくなってしまうあの気持ちって何なんでしょうね。かくいう私も、身近な両方を知っている人間同士がくっついたと聞くと(特に片方のことは好きで片方のことは好きではない場合)「なんでや…」と、つい言ってしまうんですけどね。ははは…

【同人女①】秀才字書きと天才字書きの話 | 真田
巷を賑わせているこちらの漫画ですが、私も面白く、そして興味深く読みました。
そしておけけパワー中島さん(以下おけパさん)がここまで色々な人の心を揺らしていることには割とびっくりしました。あ、多くの人が心を揺さぶられたのってそこだったんだ!?みたいな。私もおけパさんの描写にももちろん色々思い出したり考えたりしたところはあったのですが、多分一番の揺さぶられポイントではなかったので、世の反応との違いに単純に「へ~」と思った、ということなのですが。
原作漫画の中ではおけパさんは詳しい描写は無いですが、多分「綾城さんよりは売れてはいないけど」本は出している、みたいなポジションの方なんだろうなと。そして綾城さんとおけパさんのやりとりを見る七瀬さんや友川さん(もしくは読み専さん)みたいな視点で気持ちを揺さぶられている方が多いのかな…とTwitterなどを見て思い。

そして、さっきのようなことを思い出したんですよね。同人界においても、「釣り合わない現象」って発生するよな~って。
正直自分にもそういうのを感じて恐縮して話しかけられない、みたいな感情はあります(感想は送れる)。でもそれって本当はおかしいよなぁ、と思う気持ちもあるのです。
別に話しかける/かけられるどちらの場合でも「人気のある創作ができること」と「その相手が自分にとって会話をしたくなる人間かどうか」は(利害関係を求める場合でなければ)関係が無いですし、「初対面の人に急に馴れ馴れしく接すると驚かれることは多い」ということはあれど、節度を持って話しかけてくれる人に対して不快感を抱く人間はあまりいないのではないかなぁと。
そう考えるともっと気軽に話しかけてもいいのかな?とも思うのですが、特に電子の世界だと表情も見えない分なかなか難しいですね…

そんなことを思って、とりあえず私は自分のスタンスを明確にしておこ~と思い、サイトのaboutの部分やTwitterのヘッダーの文章を少し変えてみました。私はお互いの考えていることについて言葉を交わしあうことが好きなので気軽に話しかけてほしいタイプです。

いまからまんがを作ります。
ところで先程の漫画を描いた真田さんが出しているこの本、すごくコンパクトにまとまっていてわかりやすかったです。
「お話を書いてみたいけど書き方が全然わからない… でもHOW TO本を読むのはハードルが高い…」という方の入門書としてピッタリだと思います。小説書きさんにもおすすめです。DLしてすぐ読めますので、よろしければ是非。

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二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタク

よくゲームや漫画が非難されると「現実と非現実は違うってわかってるし。完全に別物だから関係ない」みたいな意見ってかならずあるけど、私は「そうなのかなぁ」といつも思っている。もちろん明確にわかっている人もいるだろうけど、わかっていない人もいると思う。
それに、「違いはわかっていたとしても影響は受ける、作品に引っ張られる」ということは割とよくあることだと思う。
(私は「違いはある程度わかっているのかもしれないけれど、影響はめちゃくちゃ受けるタイプ」だと自分では思っています)

二次元オタクって好きなコンテンツについて考えること、特に「関係性」を考えることが好きな人って多いと思うんだけど、そういう人って「現実生活でも、自分と直接的に関わりがある人と人との関係性を考えるのが好きなのかな?」ということに私は興味がある。
私は「関係性厨」である自覚があるし、それはどの場面でも大抵発動するので普段の生活でも人々の関係性を眺めるのが好きだ。
でもやっぱり、三次元での知りあいに対する「関係性厨ぶり」とかテンションは、二次元キャラに対するそれとは違う部分も多い気がする。

二次元の人間て、原作者から公開された部分以外は「正解」が(認知できる範囲では)無い。
でも、三次元の人間て「正解」というか、「その人が通ってきた歴史」って一つしかないし、「この人があの人とこんな関係になったらいいのにな」なんていう滅茶苦茶念の籠ったお気持ちを本人にぶつけたら迷惑以外の何物でもない。
二次元は良くも悪くも「存在しない」方なので、ありがたく重いお気持ちしたためさせていただきます…みたいな気持ちになって、ぶわ~っと自由に妄想が広がるのかなぁと思った。私の場合は。

「自分の理想を投影しやすいから」という部分もあるのかな。現実の人間には、妄想とは言え自分の理想を押しつけるのはなんとなくもやりとするところがあるし…

何の話をしたいのかよくわかなくなってきた。一番言いたかったのは「二次元の関係性を考えるのが好きな人は、自分と日常的に関わりのある三次元の人間同士にも、二次元の人間に対してと同じかそれ以上に興味ってあるのかな?」ってことです。あなたはどうですか?って聞いてまわりたいよ。

私は二次元と三次元の世界を明確に分離させて考える事ができない人間だから、「二次元・三次元を問わず人間の関係性というものに興味がある」んですが(別に愛だ恋だ要素には限らない)、「あなたは三次元の人間関係にも興味がありますか?」と聞いたら「は?あるわけないでしょ? 二次元と三次元一緒にしないでくれます? それって全く別の話だと思うんですけど」っていう人もいると思うんですけど、「全く別の話」だとは思えない私からすると、「本当に別なもんなんですか。なんでそんなに『別』だと思えるものなのか、そこのところ詳しく教えていただけませんか」」と、話を聞いてまわりたいんですよね。どうやって切り替えているものなんだろ。
もともとそういう人なのか、途中からそうしようと試みてそのようになったのか。その辺も気になる。そんな話も、いつか誰かとできたらいいなぁ。

そしてこんなまとまりのない文章でも自由に気兼ねなく載せられる、HPっていいな。

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生きてる相手に自分の気持ちを伝えられる手段があるってありがたいことだよ

ひとりの長文感想マンに推しカプ界隈を支配された話

この記事を受けて感じたことなどを書きます。

記事の書き手さんは起こった事象を「支配された」と表現したけど、人によっては違う単語を使うんだろうなぁと思った。

私は普段から人に対して「あなたのこと/作品が好きです」「あなた(の作品)と接することでこんな感情を抱きました」みたいなことを音声や文字を通じて伝えたい方で、ネット経由で感想を送るし、イベント会場だと声をかけたり手紙を渡したりする方です。会社とか、日常生活でも何らかの手段で伝えるタイプ。

こういうことをしていると、たまに「すごいですね / 偉いですね」みたいなことを言ってもらえることがあるんだけど、私自身は自分のことを「感情を発散させずにいられない、それを『我慢する』機能が弱い人間だ」と思っているので、特に「すごい」みたいには思わないんですよね。結果、喜んでもらえることもあるからありがたいんですけど、「喜んでほしくて言ってる」んじゃなくて、「我慢できないから」言っているんです、根本は。

ちなみに私は感想を書く時に「自分の解釈が合っているか」「作者の意図が読み取れているか」を気にしたことがない。と言うか、たまに流れてくるお気持ち長文的なものを読むまで、そういう概念の存在すら知らなかった。感想って、ただ「私はこう感じました」「作品を読んでこんなことを考えました」っていうのを書くものだと思っていた…

私は感想をもらう側でもあるけれど、もらう時も「この人、私と解釈が一致してるのかしら?意図は読み取ってくれてる??」という視点では読んだことが無い。解釈が一致してたり私の思っていた意図で伝わると「一緒~!」とか「伝わった!」とは思うけど、違う解釈だったり違う意図に取られたとしても「へ~、あの話をそういう風に感じる人もいるんだな~、発見!」と思うだけで、どんな感想ももれなく嬉しくありがたいなと感じる。
私が一番知りたいのは「その話を通じてその人にどんな感情が湧いたのか・どんなことを考えたのか」「どういう経緯でそこに至ったのか」ということであり、その内容の種類は問わないのである。
極端な話、私がABだと思って書いた話に「私にはBAのように感じられました」という感想をもらっても、私は「へ~、そうなんだなぁ!」という感じで、嫌な気持ちにはならない。むしろどの辺からBAを感じたのかがすごく気になる。そこんとこ詳しく。

私が嫌だと感じる感想があるとしたら、「私はABが嫌いなので書かないで下さい!」とか「●●な話を書くべきだと思います!」みたいな「あなたは私が思うとおりに生きるべき系」の感想だ。まぁもらったところで「うるせー知るか!!!!この世は各々が好きなように生きるんじゃい!!!」なのでその影響で書かなくなったりすることは全くないが、「そもそもこの人なんで私にこれ送ってきたのかなぁ。と言うかこういうの送りつけてきちゃう人って普段はどんな生活してるんだろ。楽しく生きられてるのかなぁ。今日、なんか特別嫌なことでもあってストレスぶつけちゃったのかなぁ」とかは考えてしまう気がする(結局あまり嫌だとは感じないのかもしれない…?)。

念のため言っておくのですけれども、「今回のお話、とっても好きだったのでまたこういうお話読めたら嬉しいです!」はめちゃくちゃ嬉しいです。「ねばならない」じゃない、「だったらいいな」は全然嬉しい。
そして私はどんなに特定の作品や作風を褒めてもらったとしても、行動原理が「今この瞬間に自分がやりたいことをやる」なので、褒めてもらったものと自分のその時やりたいことが一致しなかったら、そういう作品は書かないと思う。。申し訳ない。。。
でも「こういう感想送ったらこういう作品書かなきゃってプレッシャーになっちゃうかな?」みたいな配慮は0で大丈夫なんで、思ったことを思った時に、好きなように好きな形でどしどしお寄せ下さい。どんなに昔の本の感想を、何年後にもらったとしても私はめちゃくちゃ嬉しいです。

個人的にはTwitterやpixivで作品を「浪費」してしまうことが申し訳なくて、本当はいいなぁと思った物には一つ一つ「素敵ですね」と言葉かけをさせてほしい。むしろ普段のツイートにも「いいですね」「わかります」「あなたとはこのことについて一度話をしてみたいです」等々色々なことを思うけれど、本当にそうしていたら気味悪がられてしまうので、頑張って自重しています。
RTした後にはなるべく「どういう気持ちが湧いたからRTしました」的な言葉は残すようにしてるけど。私もRT後検索が好きなので。

私は作品の感想は基本的には記名でその人にしか読まれない形で送ることが多いのだけれど、記名をするのは認知されたいというよりも「身元を明らかにしておきます。不審人物ではありません」という証明と、「個人の人格として認知はされなくてもいいけど、同一人物からの感想であるということだけはお伝えしておきたい」的な感じで記名をしています。あと、やっぱり感想をもらう側としたら返信したいな~と思うこともあるかと思うので、念のためそう思ってもらった時用の連絡手段…みたいな気持ち。
私は、時には感想を送ることで認知されたら嬉しいな、とかお返事がもらえたら嬉しいな、と思わないこともないですけど(凡俗なので「そんな気持ちなんて全くありません!0パーセントです!」とは言わない。でも、そういう気持ちは本当に僅かだと思う)、基本感想は「感想を伝えたいと思うような作品に出会えたことに感謝」であり「書いてくれた方が存命で、その人に気持ちを伝えられることに感謝」なので反応は気にせずに書いています。ほんと、ご本人に気持ちを伝えられるって、ありがたいよね…

お手紙書くの大好きマンだから、またのんびりイベントに参加できるようになったら好きなサークルさんにお手紙直接渡したいなぁ。
もらうのも書くのも、同じぐらい大好きなんだよなぁ。

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我ながら無茶な話をしているなぁと思うという話

もっとたくさんの人に自分の本を手にしてもらえたらいいのにな、と思うことはよくある。
これは「むちゃくちゃ売れたい」という訳では無くて(むちゃくちゃ売れたら売れたでとても嬉しいんだろうとは思うけれど、「手にしてもらえたらいいのにな」の気持ちの内訳を円グラフで表すとしたら、一番多い割合を占めるのは「むちゃくちゃ売れたい」ではない、という感じ)、「もし、もっと多くの人が自分の人を知る機会があれば、その中には『こういう本、好きだな、ほしいな』と思ってくれる人は今以上にいると思う。そういう人に、この本が届けばいいのにな」という気持ちなのだと思う。必要なものに必要なものが届けばいいのに的な考え方。
(ちなみに私は日常でもこういう感じの考え方を持っていて、「たくさんの人に知ってもらえた方が、自分を好いてくれる人・自分と気が合う人に出会う確率が増える。少なくとも自分でコツコツ捜しに行くよりは手っ取り早い」と思っているので、人前で何かをするのは好きなのである。)

「それなら同人誌の形で出すよりpixivに載せた方がたくさん読んでもらえるよ」というのはごもっともな意見なのだが、私が一番読んでもらいたい媒体が「お金を支払ってもらった結果読んでもらえる、紙媒体の同人誌」なので、こればかりは仕方がないのである。
いや、思うんですよね。同人誌中心に活動するにしろ、多分今の女性向けジャンルの小説という形で創作をするなら、pixivでそこそこ作品を発表して足場を固めて?から同人誌を出した方が、本は手に取ってもらいやすいんだろうなということは…
私は前情報抜きで本を読むのが好きだから好きな人の本はほぼ無条件で買うし、初めての方の本もサンプルを極力見ないで買うのが好きだけど、多分こういう人間は割と少数派で「一度無料提供のものを食べてみてからお金を支払いたい」ものなんだろうなと…
そうとは思いつつも、本という媒体が好きで、いいネタが思いついたら極力同人誌の形にしたいなぁと思ってしまうので、宣伝も兼ねられるような作品をpixivに上げられないんだよなぁ…我ながらもうちょっとその辺のバランスどうにかならないのかい?と思うんですけど…

奏薫もニキ燐も、pixivに一つも奏薫/ニキ燐作品を上げていないので、その界隈での知名度も無ければ「この人がこのカプでどういう作風なのかわからん…」状態なので全然「本を手に取ってもらいやすい」環境が整えられてないんだよな…
なのに本を出したいパッションだけは強すぎていきなり本の形で出しちゃうんだからあんた、「たくさんの人に手に取ってほしい」って言っても無茶があるよっていう…まぁでも多分このスタイル、あんまり変わらないとは思うんですけど…

みか宗も知り合いゼロで飛び込んで、pixivフルで読める話は一つしかないのに、それでも細々と本を出し続けていたら手に取って下さる方が活動当初に比べたらとても増えたので、奏薫もニキ燐も、これからも本を出して今より手に取ってもらえる数が増えるといいなぁ~と思う。私の本の需要、めちゃくちゃ多くはないけど、一定層にはある気がするんだよなぁ~(ハイパーポジティブ)

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寮生活や小集団の中で過ごすことについての浪漫

寮生活や小集団(アイドルグループ的な、共通点のある人間で括られた小集団)の中で過ごした経験の有る・無しで、それに対する浪漫の度合いは変わってくるのだろうか、とふと思った。
まぁ人によるか、と思ったけれどそう言ってしまっては身も蓋もないので、自分自身はどうかなぁ、と思った。

私自身は、これまでに寮生活も小集団の中で過ごした経験もある。
なんとなく、フィクションの世界だと寮が同じだったり小集団が形成されると、そこに所属する全ての人間同士に関係性の矢印が発生するような気がしやすいのかな、と思う。まぁそういう風に妄想した方が楽しいですし。

でも実際は、寮で同室になった人間同士が特に仲が深まらないとかザラにあるし(別にそれが悪いことだとも全く思わないし)、どんなに小さな集団だったとしても関係性が発生しないということもよくあるんだよなぁ。
(ここまで書いてみて、「家族」という小規模な単位でも別に関係性が発生しないなんてことはよくあるのだから、もっと規模が大きくなったらますます何も発生しなくなる可能性は上がるに決まっているのに今更何を書いているんだろうな、という気もしてきた)

2人部屋の寮に住んでいたとき、仲の良い親友~みたいな部屋もあったし、それぞれが気遣いあって暮らしてるな~みたいな部屋もあったけど、私の部屋は「お互いに好きなように暮らしている部屋」だった。今思えばすごい気楽な部屋だったなと思う。相手の子が私の特性を見てそれに合わせてくれていたのかもしれないけど。
すごく気楽な部屋だったし、あの部屋だったらまた住んでもいいなとは思えるけど、だからと言ってその相手のことが大好きだったのかと言われればそれは「別に」なんだよなぁ。別に嫌いだった訳でもないけれど。普通。と言うか何とも思っていなかった。
「別に好きな相手というわけではなかったけれど、『独身者同士が共同生活をするにあたっての相手』としては、良き同居人だった」みたいな感じ…

ズ!!の寮の話をしたかったってことなんですけど(そうなんです)、「仲良し~!」みたいな部屋もあれば、別に仲が悪いわけではないけど特に仲が良いという訳でも無い、でも居心地は悪くない部屋、みたいな部屋もあるんだろうなぁ、と思った。

まぁ、私の特に好きな二人のうちの二組は、寮以外の場所で既に同居経験があるんですがね…ほんとすごいよな…

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はじめに

「マイホーム」がほしくて、久々にHPを作ってみました。

それこそ一番初めにHPを作ったのはもう25年ぐらい前で、インターネットの走りの頃に、ちまちまちまちまhtmlでテーブルタグを手打ちして…みたいなHPを作っていました。実名で…まだ個人のサイトなんて全然無い、おおらかな時代だったんや…

その後、さすがに実名は辞めて同人サイトを作り、ゆるゆると、10年ぐらい前までは何らかの形で運営していたのですが、それもフェードアウトし…(ネットの海の中にその残骸はありますが…)

Twitter大好き人間なのでTwitterライフは日々楽しんでおりますし、Pixivも手軽で便利なのでありがたく活用させていただいているのですが、オフライン情報を自分の好きなようにまとめたり、ちょっと長めの文章(創作物、というよりは自分の気持ちの吐き出)をまとめておく場所がほしいな~と思って、サイトを作ってみました。

なので、今まで/これからの創作物もいずれここに収録出来たらな、とは思うのですが、それよりは日々のオタク活動の中で考えたこととか、そういった話が中心のHPになると思います。そういうのが、好き!なので…

いやー、作ってみると改めてHPっていいですね!
「郊外に広めの戸建てを買って、庭も外観も内装も好きにDIYしながら住んでる。早朝でも深夜でも楽器鳴らし放題!」なイメージ。
Twitterやpixivという「おそと」で色々あっても、HPという「おうち」に帰って来ると部屋着でのんびりごろごろできるような、そんなイメージ。

とりあえず仮のお家を建ててみたので、ここから少しずつカスタムしながらその時一番快適なお家づくりをしていけたらな~と思います。
良かったら、たまに覗きに来て下さい。

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