なぜ私が創作をするのか?の内訳を考える

・推しカプ/関係性に対する行き場のない気持ちの発散
・物語を楽しんでほしい気持ち
・創作を通じて生まれる人々との交流
(割合はその時々による)


以上。

という感じなんですがそれでは身も蓋もな訳なんで、3つ目の「創作を通じて生まれる人々との交流」について、もう少し言葉にしてみようと思います。

人と人との距離感や接し方って、「ちょうどいい」が個々の関係性によって異なると思うんですよね。
「距離が近ければいい」「いつも一緒にいる方がいい」「全てを把握している方がいい」というわけでもないですし、同じ相手でも、時期によって「ちょうどいい」距離や接し方って変わってくると思うんです。

Twitterで割と定期的に「アカウント主は絵だけでなく日常話などのツイートもしたいのに、絵だけ載せろと言ってくる人がいる問題」って話題になる気がするんですが。
それ自体については「アカウントの運用の仕方は公序良俗に反しない限りその人の自由なんだから周りがとやかく言うことじゃね~~~~!!!」と思っているのですが、そういう問題って、双方の「求めるもの」への齟齬によって発生しているんだろうなぁ、とは思うんですよね。

そして、私自身は創作をすることで人との交流のきっかけになったらいいな、と思っているところがありますが、中には私の「創作物」だけを求めている人もいるでしょうし、それはそれでいいな、と言うか、私がいい悪いのジャッジをする立場になんておらず、その方にとっての私との「良い距離」なのかな、なんて思うんですよね。
もしもその人が私に「TwitterやHPなんてやってないで創作だけしていろ」と言ってきたとしたらそれは「いや、なぜ私があなたの思い通りに私の人生の時間を使わねばいけないのか」ですが、相手が私の発しているものの中から静かに自分の好きなものだけをチョイスして私に関わるという選択肢をとる分には、全くの有りだと思うんですよ。

普通に日常を過ごしていたら、ツイッターやHPで雑談をしているだけだったら全く交わらなかったその人と私の間に、作品を通じてだけでも、そして一方通行であったとしても何らかの点や線や関係性が発生するとしたら、それってすごいことだしいいよなぁって私は思うんです。だって、作品がなかったらその人と私の間は「無」だったんですからね。そこに、細かったとしても糸が張られるっていうのは、私にとっては「創作した甲斐があったな~」なんですよね。

まぁ理想を言えば、私の創作からあなたにどんな感情が生まれたかを教えてもらえたら最高にハッピーなんですが、それは私の「だったらいいな」であって「ねばならない」ではないので…
「皆さん、好きな距離感で、好きな方法で私と関わってみて下さい~ 私もそうさせてもらいます~ 『関係性』を築くとしたら、お互いの手ごたえを見ながらゆっくりやっていきましょうね~」という気持ちです。
という話でした。

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