6.7月の振り返り

6/28から突如始まったこのHPですが、1カ月ぐらい経ったので比較的反応のあった(拍手が多く押された)ページや印象深かったページなどについてコメントしていこうかと思います。

ニキ燐 ワンライ「キス」
これは小話だったのとR18だったので反応が多かったのではないかな…と思います。初めて拍手からメッセージが飛んできて驚いたのも良き思い出です。ありがとうございました。

物心をついた頃から同人活動をしていた
この記事が比較的反応を頂いたことにはちょっと驚きました。どの辺りが読んで下さった方に拍手ボタンを押させたんだろうなぁ。
何かを創作する、改善・改良するということが私は好きです。

創作物をこんなに簡単に「消費」してしまっていいのだろうか、と思う
買うだけ買って読めていない同人誌があったり、ツイッターに「流れて」くる作品(特にワンドロ/ワンライとか)に対して思う、複雑な気持ち。自分の作品はできれば消費されたくないのに人の作品を消費してしまっているという苦しさみたいなものが常に気持ちのどこかにあります。消費されないような作品を書き続けたいとも思います。

二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタク
なぜ人は推しカプに「何でもない日常」を送ってほしいのか
何となく関連性を感じるブログ。私は「自分と地続きにない物語」を書くのが苦手です。

私はモテたかったんだな…!?ということに気付いた、という話
2次元でも3次元でも「モテモテ」だったことがない。一度体験したら何か見えてくるものがあるのかなぁ。でも「体験しないとわからない」説を私は推したくないので、伝聞やイマジネーションで頑張ろうと思います。
「FF外通知切ってます」「カプ名」をプロフに表記する意図とは
たくさんのフォロワーやファンがいることと「自分がしたいコミュニケーションができるか」は別の話
この辺の記事とも関連があるかな?

よくわからないけどこのアカウントだとかっこつけてしまう、という話
この記事を書いたら気が楽になったのか、かっこつけるのを徐々にやめられるようになってきた気がします。クールでスマートなアカウント運営なんて私には無理だったんや…私はAM深夜ラジオリスナーやねん…
そうか、AMラジオだったんだ

生きてる相手に自分の気持ちを伝えられる手段があるってありがたいことだよ
つい最近も、「すごく面白いなと思った本の作者が既にお亡くなりになっていた」ということがあった。まだお若い方だった。この方の新作を読むことは永遠に叶わないしファンレターを書くこともできないんだなと思ったら何とも言えない気持ちになった。
伝えられる手段があるうちに、プラスの気持ちは可能な限り伝えていきたいものだな、と改めて思った。

「どちらが左右か、という事を重要視する」というのはどういうことなのか
このことだけじゃなく、いわゆる「女性向け」には不思議な/興味深い文化が色々あるなぁと思います。「女性文化」を楽しみつつ、マイペースに活動していきたいものです。

Share this...
Share on twitter
Twitter

「どちらが左右か、という事を重要視する」というのはどういうことなのか

私は同人歴は長いんですけれど男の子同士の本を生まれて初めて出したのは2018年の初夏なので、それからまだ2年ぐらいしか経っていないんですよ。
その後、2019年にみかの本を出してからは主にあんスタで色んな男の子同士の本を出してきたんですけど、なぜ今になって急に男の子同士の本を出し始めたのか、自分でも謎なんですよね…

別に、特に男性同士が恋愛関係になる的なことに抵抗があったという訳でもないし、特に避けてきた訳でも無いんですが、読み手としても男の子同士の本を意識的に買うことは無かったんですよねぇ。作家買いしてる同人作家の人がそういう本を出せば買ったりはしていたんですが。

なので、急に男の子同士の本を出し始めたのもあんまり理由らしい理由が今でもわからなくて、「たまたまこのタイミングで、なんとなくいいなと感じたから」としか言いようがないんですよね…

読んだり書いたりしてみて思ったのは、男女カプというのは大多数の場合、いわゆる「左右がはじめから決まっている」のに対し、同性同士のカプだと「どっちがどっちか」みたいなのを考える・感じるところからはじまるのが面白いな、と思いました(今思えば男女カプでもなんで左右固定だと思ってんねん自分…というところではあるんですけどね)。

今でも面白いな、興味深いなと思っているのは、少なからぬ人が「どっちが左でどっちが右なのか」ということに非常に重きを置いている、という事実が存在する、ということです。別に煽っているとかそういうことではなく、単純に「なぜそれを、その二人の関係性においてそんなに重要視するもんなんだろうなぁ」ということに、興味があります。
人間同士の関係性においては、色々な種類の「どっち」が存在するはずなのに(例えば主にお風呂洗いをするのはどっち、とか)、こと「左右」に感心・興味が集中するって、人々に/個々の人にどんな想いがあるからなのかな~っていうのに、興味があります。

なんで生身の人間には「パートナー同士であったとしてもそこに性的な接触を含むか含まないかは当人同士が決めること。他人がとやかく言う事では無いし、下世話な事を言うのは失礼。自分も言われたくない」と思っている人も多いでしょうに、「推しカプ」には性的接触を求めたくなる、はやしたてたくなるもんでしょうねぇ…。不思議なもんです。これが「2次元と3次元は別」理論てやつなのか…?
推しカプの成人向け本、いっぱい読みたいもんなぁ~…

Share this...
Share on twitter
Twitter

なぜ人は推しカプに「何でもない日常」を送ってほしいのか

ドラマチックな創作はもちろんそれはそれでとても人気があるけれど、こと二次創作においては「推しカプがただただ何でもない日常を過ごす」話やイラストも人気があるなぁと感じる。私ももれなく好きです。

私は日常生活においても平穏を好む傾向があり、ただ寝て起きてご飯を食べて寝て一日を終えるみたいなのが好きだし、長く一緒にいる相手に求めるのは「派手に楽しめるかどうか」よりも「物事について静かに落ち着いて話ができるかどうか」で、自分以外の人間についてもそういう関係を築いている人達を見るのが好きだから二次創作でもそういう話ばかり書いてしまうのだけれど、他の人はどうなんだろうなぁと、よく思う。

私は二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタクだから普段の傾向がそのまま創作にあらわれてしまう事が多いのだけれど、「自分が送りたい日々は全く違う種類の日々だけど、推しカプには何でもない日常を送ってほしい人」もやっぱり一定数はいるもんなんだろうなぁ…

「推しカプの何でもない日常話」が好きな人は、他の人に比べて自分の日常生活でも平穏を好む傾向があるんだろうか。どうなんだろう。そんな統計無いからわからないけれど。気になる。

本当は「自分の好みを推しに重ねる」んじゃなくて、「推しが生きたいように生きる」姿を文字にしたいんだけど…いや、一応極力「私の好みの押しつけ」にならないよう、「推しにとってありえるかもと思えるような一場面を描く」ように気を付けてはいるんだけど…
創作ってどうしたって書き手の価値観が滲み出てしまうとは思うけど、こと二次創作についてはできる限り気を付けられたらなぁとは思う。「人様の子」をお借りしている訳だから…(人様のうちの子にあんなことやこんなことをしていただいている訳だが…)

ここまで書いてきて何だけど、「何でもない日常話」っていうといわゆる「ほのぼの」みたいな創作を思い浮かべる人が多いのかなって思ったけど、人によって「何でもない日」の内容って違うから、大多数の人から見たら「波乱万丈な」「バイオレンスな」日、が「何でもない日」っていう人も世の中にはいる訳だからなぁ。
もしかしたら、皆からはそう思われている創作が、書き手さんにとっては「日常話の本」なのかもしれないですね。

Share this...
Share on twitter
Twitter

そうか、AMラジオだったんだ


私はラジオが好きなんですよ。シャレオツFMミュージックラジオじゃなくて、AMで深夜にやっているモテない男子がハガキ職人やってる系のラジオが特に…(褒め言葉です)

最近たまに「HPのやつ読んでます~」と言っていただけることがあるんですが、その時に感じる嬉しはずかし感てなんだろ?って考えてツイートしたのが冒頭のやつです。
書いた物語に言葉をもらうこともものすごく嬉しい。でもそれとはまた違う感情として、AMラジオで好きに喋ってるのを「聴いて」もらえていると教えてもらえると、「え…この人はもしや私と言う人格に興味を持って下さって…?」みたいな喜びが湧いてくるんですよねぇ…

ここに書いた通り、私は「作品を通じてのみ」私と接する人がいることは全然良いというかむしろそこで接点ができて嬉しいですなんですが、それはそれとして「喫茶店や居酒屋で気を遣わずに雑談できる人と知り合えたらいいな」という気持ちもあるので、ここを定期的に見てくれる人はそんな可能性が高い人なんじゃないかな…?とか思って勝手に一人で嬉しくなっている、という感じです。

もはやそういう日が取り戻せるのかわからないけれど、もしもまたイベントが気楽に開催される日々がやって来たとしたら「ブログ読んでちょっと雑談してみたくなった~」っていう人がスペースに来てくれたらいいのになぁ、とかそんなことを夢見ています。雑談しようぜ~!

そんなわけで、HPの名前をちょこっといじってみました。気分でまた戻すかもしれません。

Share this...
Share on twitter
Twitter

私はモテたかったんだな…!?ということに気付いた、という話

私は元々自己肯定感が高い方だと自覚しているし、自分が書く話も好きです。
書いている最中は「えっ…これ面白い…? ていうか話として成立してる…???」と迷走するけれど、本になったものを読み返すと「えっこの話めちゃくちゃ面白いって言うか好みなんだけど誰が書いたの…!?……俺か……」みたいに思うことがしょっちゅうあります。
もちろん至らない部分は山ほどあるけれども、それを差し引いても私は自分の書く話がすごく好きだし、それは昔から変わらない、おめでたい人間です。

それはさておき、私は同人歴は長いけれども売れっ子だった時代は一度も無いんです。謙遜ではなく事実として、本当に無い。
しかしながら、手に取って下さる方は確実にいるんですよね。そして、いわゆる「作家買い」して下さる方や、単純に私という人間を好いて下さってイベントの時にいつも声をかけて下さる方もいらっしゃいますし。これもまた、事実として本当にあるんです。大変にありがたいことだと思います。

ここでも書いたんですけど、私は日常生活においては人目をあまり気にしない方ですし、「気を遣って生きても好きなように生きても好いてくれる・嫌ってくる層が一定層いるなら、好きなように生きよう」「なるべくありのままで生きたい。これは抜き立ての泥付き大根を『食べて下さい!』と出す、という意味ではなく、手入れをした畑で手間暇かけて育てた大根をきちんと洗い、丁寧に調理したふろふき大根として『食べてみていただけますか』とお出ししたい、ということだ」みたいな気持ちで生きていまして。
同人活動においては、「売れっ子ではないけれども、作品を通じて何かが通いあった方々」が一定層いてくれるなぁとも感じているので、満足している部分もあるんですよね。実生活だって、知り合う人の中で、本当に気持ちが通い合う人なんて1%もいない訳ですし。

なんですが、いつも自分の気持ちの中に、漠然と「売れっ子さんっていいな~」みたいな気持ちがずっとあったんですよ。それって何なのかな~?なんでだろう???と、ここのところよく考えていたんですが。
最近になって、「私…モテたかったのかな…?」という結論に達しました。

普段の生活でも、いるじゃないですか。モテる人って。それこそ集団生活が始まる保育園・幼稚園時代からはじまって、社会人になっても「モテる人」って、いるわけですよね。そしてそういう人を見て「いいなぁ~」と思う気持ちがあった時期が私にもあるんですが、ネットや同人活動をしている中でも「全くモテない訳ではないけれど、モテモテ気分を味わったことがない私」は、一度でいいからモテモテ状態を味わってみたかったのかなぁ…と思いました。と言うか、そう考えてみるとすごくしっくり来たんですよね。

と同時に、それがわかったことで逆に「モテたいという自然な気持ちを否定する事はしないけど、今までよりは『モテたい』気持ちが落ち着くかも」とも、思ったんですよ。
なぜかと言うと、実生活を通じて「モテるのは確かに気持ちが良さそうだし楽しそうだけど、モテモテになれなくても自分を好いてくれる人と出会えて、その人達と交流できるのならそれはそれで十分に幸せな人生だ」というのが実感できているので、「モテたらモテたでいいだろうけど、モテないと人生がつまらないという訳ではない」という安心感みたいなものが持てたからかなぁ~と思いました。

まぁ、人生で一度ぐらいモテ期みたいなのも味わってみたいな~とは思いますけどね…ふふふ…庶民の憧れ…

Share this...
Share on twitter
Twitter

たくさんのフォロワーやファンがいることと「自分がしたいコミュニケーションができるか」は別の話

タイトルが結論…という気はするんですが、もう少し詳しく書いていきます。

Twitterにアカウントを持っている人や同人活動をしている人は世の中にたくさんいますが、「アカウントを持っている理由」「同人活動をしている理由」は人によって違うと思うんですよね。
例えばTwitterの場合、情報収集のためとか。何か発信したいことがあって、その宣伝用としてとか。同じ趣味の人を探したいとか。メモ帳代わりにしたいとか。同人活動の場合、萌えの昇華とか、解釈の具現化とか、承認欲求とか。

そして、「それを通じて、誰とどんな風にコミュニケーションを取りたいか」も人によって違うと思うんですよね。
とにかくたくさんの人からの反応が欲しいとか。褒めまくられたいとか。身内で楽しくやりたいとか。自分がやりたい事をやりたいだけで、別に反応はいらないとか。

そして、その「取りたいコミュニケーション」て、フォロワーやファンが増えれば叶うタイプのものもあるんでしょうが、そうじゃない種類のものもあるんだろうな~っていうのも思うんですよね。

私はネットやイベントで感想を伝えさせてもらうのが好きなので色んな方に伝えさせてもらっているんですけど、「どう考えてもめちゃくちゃ本が売れている方」でも「手紙ってめったにもらわないから嬉しいです」とか「こんなに感想言ってくれた人初めてなんで嬉しいです」とか言われたことが一度や二度じゃなくて…
「えっマジか…絶対私以上にこの人の作品好きな人無限にいるだろうに、皆さんめちゃくちゃシャイなのか…!?」と思うことは割とよくあります。
書き手の中には感想特にいらないマンの方もいますし、「自分と合う人とだけコミュニケーションを取りたい」という人も中にはいるので一概には言えませんが、書き手というのは概ね「自分の作品に対する(できれば良い)反応」があるなら聞いてみたいと思っているのに、「作品を発表しているにも関わらず、フォロワーやファンもたくさんいるのに、そういうコミュニケーションをとってもらえない場合」もけっこうあるものなんだなぁ…と思います。

Twitterだと、特に上手い絵を描く絵描きさんはものすごい数のRTやいいねをもらっていたりしますが、それってどのぐらい「嬉しい」ものなんだろうなぁ、とよく思います。
単純に「1人でも多くの人に自分の絵を見てもらいたい」人ならたくさんの反応が嬉しいのかなと思うんですけど、「そもそもその人はどうして『見てもらいたい』って思ってるんだろう?」と思うと、「視覚情報として認識してもらいたい」というよりは「自分の絵を見てプラスの感情を持ってもらいたい」とか「上手だなぁ、すごいなぁと思ってもらいたい」みたいな価値が乗っかっているのでは?と思っていて、そういうのって単なるRTやいいねだけでは果たして満たされているものなんだろうか…?と単純に聞いてみたくなります。
人によっては、RTやいいねだけでももちろん嬉しいけれど喜びはそこまでではなくて、リプや引用RT、RTの後の一言に「感想」みたいなものがついているのが嬉しい、みたいな方もいますよね。人によって色々なんだろうなぁ~と思いながら「売れっ子」さん達のRTやいいね欄を見ています。

そういうお前はどういうコミュニケーションをとりたいんだよと言われると、この辺とかこの辺と似た感じになっちゃうんですけど、好きなコンテンツとかキャラやカプについてキャッキャするのももちろん好きなんですけど、「何かを通じてその人が何を感じたか」を聞くのが一番好きなので、そういうコミュニケーションを取れた時がTwitterをやっていても同人活動をしていても、一番楽しいですね。
そして、決して「売れっ子」ではありませんが趣味を通じてそういう人と知り合えて、自分の好きなコミュニケーションができている今はとても楽しいです。というお話でした。

結論に対しての文章が冗長…頭の悪さの露呈…でもありのままの自分で生きていくしかないという事実…頑張って生きてこーぜい…

Share this...
Share on twitter
Twitter

物心をついた頃から同人活動をしていた

というのは大袈裟だけれども、「同人誌」という概念を知る前から授業中に絵や文を書いて冊子にして、クラスの気の合う子に読んでもらったりしていた。それが小学校高学年ぐらいの頃。
「同人誌」という概念を知った時は、「ああ、私がやりたいやつってそれじゃん。それをやってる人達がもう世の中にいるのか。私もそれに加わりたい」みたいなことを思った気がする。

小6の冬に初めてコミケに一般参加して(今思えばサークル側の人は「えっ、子どもが歩いてる…?」と驚いていたのではなかろうか。高校生ぐらいの子ですらイベントで見かけると「めちゃくちゃ若い子がいる!!」って思うもんな…)、中1で初めて地元の即売会に出た。コピー本2種と、手作り便箋・封筒・シールのセット。今の私からは考えられないが、1週間前には製本まで全て終わっていた。
1冊も、1種も売れなかった。それでも、不思議と心は折れなかった。イベントに出ようと誘ってくれた友達は多分それ以後イベントに出なかったように記憶しているが、私はその後も活動を続けようと思った。
(ちなみにその時に隣のスペースだったお姉さんは優しい笑顔をした、優しい絵柄で優しいお話を書く方で、あの人まだ書いてらっしゃるのかなぁと思って数年前にググってみたらプロになられて某人気アイドルでドラマ化もされていた。びっくり)

義務教育が終わってすぐにコミケに申し込んだ。生まれて初めてコスプレもした。今思えばなぜ冬コミでノースリーブキャラをやろうと思ったんだ私。
母にコスプレ衣装を作らせ・トーンとベタを手伝ってもらい、弟に印刷発注書のコピーを取りに行ってもらってたりしたなぁ…

ずーっと書き続けている訳ではない。日常生活が忙しい時や、書きたい気持ちが湧いてこない時は何年も書かない期間もあった。
でも、「あ、書こ」という気持ちになるとすぐにイベントに申し込むのはずっと変わっていない。漫画・小説、二次創作・一次創作、形は変われど、「何かを本にしたい、誰かに伝えたい」という気持ちがある限り、それを表現したいという想いはずっと変わっていない。

カートを自分で引き続けられる限り、同人誌即売会に参加したい。
むしろ、なるべく長く同人誌即売会に出られるように体力と健康を維持したい。

何でそんなに同人活動が好きなのか自分でもよくわからないけれど、自分の人生の居場所の一つの場所として同人誌即売会がずっとあってほしいなぁ、と思う。

Share this...
Share on twitter
Twitter

創作物をこんなに簡単に「消費」してしまっていいのだろうか、と思う

私はTwitterで自分のツイートのRT(直後のツイートを含む)やいいね先はもちろん、人のツイートのそういうのも割とよく見ている方なんじゃないかと思う。

特に、自分の好きな絵描きさんの、イラストや漫画のついたツイートのRT・いいね先は、結構な割合で見ている。どういう人が、どういう感情で反応しているのかなぁ、というのを見るのが単純に楽しいのだと思う。

「反応した人々」のたくさんのアイコンを見ながら、それぞれの人達がこのイラストや漫画を見るのにどのぐらいの時間をかけたのだろう、と思う。
「Twitterのイラストは見てもらえて3秒」と言っていた人がいたけれど、本当にそれぐらい、もしくはもっと短い人も多いんじゃなかろうか。正直私もそれぐらいのことが多いと思う。

でも私は、例え簡単そうに見える絵や漫画であったとしても、実際にはすごく手間暇がかかっていることが多いのを知っている。それをこんなにインスタントに「消費」してしまっていいのだろうか、と思うことが割と良くある。「そういうもんでいいんです」と言っているプロの方もいるぐらいだから読み手は気負わずに好きなスタイルで作品と向き合っていいんだろうけど、なんとなく、そういう消費のしかたばっかりでいいのかなぁ…と思ってしまうことがある。

昔と比べたところで仕方がないのだけれども、私自身、幼かった頃は即売会で買った数冊の本を今でもフリートークの内容まで覚えているぐらい繰り返し読みこんだのに、今では山のように本は買うけれども一度しか読んでない本もたくさんあるし。
好きな人のHPをチェックしに行って何回も何回も同じ絵や小説を楽しんだのに、次から次へと流れてくるpixiv新着をただただ口を開けて消費しているだけみたいになってしまっているところもあるし。

もちろん便利になって助かっている部分もたくさんあるし、創作の発表の敷居が下がることはすごくいい事だとは思うのだけれども、その一方で、なんだかなぁと思う気持ちも消えない。

書き手の人って、「うわー、そんなとこまで?」ってなぐらい、一つの作品に何かを込めることがある。
それを、「わ、なんか好き~ ポチー」で消費してしまっていいものなんだろうか。
もちろん一つ一つの作品に一々真剣に向き合っていたら神経がすり減ってしまうし、雑談のように流れて行っていいものもたくさんあるのだけれど、「全てがそうなったら嫌だなぁ」みたいな自分の気持ちは、それはそれとして持っていたいなと思う。

これは単なる幻想であることはわかっているのだけれど、同人誌はお金をかけて手に取ってもらえる分、大事にしてもらえる可能性が上がるかなぁ、という期待を込めて私は物語を「物理」にしているのかもしれない。
pixivにだって私の大切な物語はたくさんある。紙でしか創作が伝えられなかった時代から生きている人間の、感傷だということもわかっている。
でも、本と言う形が好きだし、できるかぎり人々の創作を「消費」、したくないんだよなぁ。しちゃうんだけどさぁ。

Share this...
Share on twitter
Twitter

よくわからないけどこのアカウントだとかっこつけてしまう、という話

「いやあなた全然かっこつけられてないですよ」というツッコミはさておいて。

のざきのTwitterアカウントはValkyrieへの気持ちをどこかにぶつけないと破裂しそうになって急遽作ったものです。

元々持っているアカウントは完全に雑多アカで、それこそ同人活動から仕事のことからプライベートの事までなんでも呟きたいがままに呟いているし、10年以上Twitterをやっていますが今までアカ分けというものをしたことがありませんでした。

が、Valkyrieを今まで味わったことの無い感覚で好きになり、「今まで親になんでも話してきたのに本当に好きな人ができたらその人の事は恥ずかしくて話せなくなってしまった…でも誰かに彼の事を話さずにはいられない…」という思春期の女の子のごとき気持ちで始めたのがのざきアカウントだったんですよね。

私は日常生活においては良くも悪くも人の目を気にしない方で、見た目も中身も人にどう思われるか、人よりあまり気にしない・気にならない方だと思います。別に「わかる人だけわかってくれればいい」という程とんがってもいないですけど、好きに生きても好いてくれる人は誰かいるだろ~、みたいな気楽さがあると言いますか。
雑多アカの方も自由気ままにやっているので、フォロワーさん達にどう思われるか、みたいなことは気にせず気ままにやっているのです。が。

考えてみるとなぜかこのアカウントの、「のざき」という存在の時だけは、ネット上でもイベント等のリアル接触場面でも、自分すごいかっこつけてるなー、とか、人目を気にしてるなー・人に好かれたがってるなーと、自分では思います(「え、これで?」とつっこまれそうですけど…)。なんでだろう。

自分なりの分析ですけど、私、人生の中で「女性社会」で生きてきたことがほぼ無いんですよ。女子校経験も無いですし、部活とかも「女バス」みたいな女子だけ集団に入ったことが無いですし、職場も男女比半々ぐらいな感じですし。

同人歴もそこそこ長いんですけど、いわるゆ女性向けでガッツリ活動したのはあんスタがほぼ初めてで、だからこそめちゃくちゃ偏見だったんですけど「女性向けって、なんか怖いんでしょ…? 学級会とかあって裏で悪口言われちゃったりして???」みたいなイメージがあって(すいません)(今の所全くそんな目にはあっていません)緊張して、「いつもみたいに好き勝手に振る舞ってたらいろいろ言われてしまうのではないか…」みたいな不安も未だにあるのかな~と思います。
なのでなるべくゲームに直接関係する話題だけ、同人活動のお知らせツイートだけをするように心がけよう…と思っていたんですが。

最近、うーんやっぱりそれは無理だな、と思ってきました。私は何かを通じて考えたことを、ばーーーーーっと言葉にして吐き出したいタイプで、それを我慢する事はすごいストレスだなーと思って。
その捌け口の一つにしよう、と思ってこのHPを初めてみたんですけど、ここを始めたら逆にTwitterの方も止まらなくなってきてしまった感じがあって、あれ、おかしいなぁみたいな…

絵描きさんは絵だけツイートしとれみたいなことを言われることもあるみたいですし、私に関しても人によっては「同人活動だけツイートしとれ」みたいな人もいるかも?と思ったんですが、よく考えたらそういう人はpixivやとらのあなの通販だけを見てれば私の本自体は手に入るので、Twitterアカウントは不快ならフォローしないとか必要に応じてミュートやブロックするだろ、という考えに思い至り、こっちのアカウントでも少しずつ好きに生きていくことにしました…ここまでたどり着くのに2年近くかかっちゃったね…

見た目に関しては、イベント等でお会いする方々は可愛らしい女の方が多く、私は女の人が大好きなので、「あの人には話しかけたくない、とは思われたくない…」と思い必死で常識のありそうな人間の姿を取り繕っているのですが、どうにかできていますか…? あれでも、普段全く装わないオタクなりの必死の装いなんですが…心の中で笑っていたとしても表面上は笑顔で接して下さる皆さんに感謝しかないですね、本当に…
私にとっては本を出すより感じのいい服装をする方が難しいよ…

こういう謎の緊張・気遣いをしながら生きるというのは私の人生の中ではほぼなかった経験なので、貴重と言えば貴重です。
多分このアカウントの自我の時は、好きな人とデートをする時よりも緊張しながら色んなことに取り組んでいますよ…。
生きているといろんなことを体験をしますねぇ

Share this...
Share on twitter
Twitter

やりたいことを、今すぐ「最後まで」やりたい

生きる上での大事にしていることや優先順位って人によって様々だし、どれを優先した方がいい悪いの問題ではないとは思うんですけれど。

私の中でかなり優先順位が高いのが、「やりたいことを、今すぐやりたい」なんですよね。
これが強いので、私は人と買い物に行ったり旅行をするのが得意ではないんです。例え相手が誰であっても、「長時間だれかと一緒にいて、その相手と一番やりたいことが一致し続ける」ことはありえないので。

「長所」としては行動力があると言うか、個人として「やろう」と思ったことに対しては無茶苦茶フットワークが軽いところでしょうか。
例えば「あっ、本出したい!」と思ったら、自分の実力とか世間での認知度とかを全く気にしないで一番すぐに出られるイベントに申し込んで速攻で本を出す、みたいなことは私にとっては何の障害もためらいもありません。物事に慎重な人からすると「いいなぁ」と言われることもあります。

ただ、今日色々作業をしていてふと気付いてしまったんですが、私は「やりたいことを、今すぐやりたい」に加えて「今すぐ『最後まで』やりたい」気持ちが強い人間なんですよねぇ。困ったことに。
例えば、本ならできるだけ短期集中で書き上げたいですし。
製作物なら、一日で作りたいですし。
何かにコツコツ取り組んだり寝かせたり、という気質が元々あまりないし、それを克服しないままこの歳まで来てしまったんだと思います。

別に、実際一日で終えられるような物にだけ今後も取り組んでいくなら、特にこのままでいいと思うんですよ。
でも、私は最近「時間をかけて作り上げていく形で話を書いてみたいなぁ」と思っているし、創作に限らず、「時間をかけて物事に取り組む」という選択肢も自分の中で持てる人間になりたいなぁ、と思っているんですよね。

とは言え、いきなり「壮大なものに取り組む」まで行ってしまうと「今まで家の周りをのんびりウォーキングしていただけの人間がマラソンにチャレンジする」ような無謀さがあるので、とりあえず「3キロぐらいを適度な速度で走れる」ような訓練をする気持ちで、少しずつ頑張ってみようと思います。

今更? でも今日が私のこれからの人生の中で、一番若い日なので。
今始めなかったら、一年後には「一年前からやっておけばよかったな」って思うの、目に見えてますもん。

今までずーっと手癖だけで同人活動をしてきてしまったけれど、ここ半年ぐらいで気持ちに変化が出てきたんですよねぇ。生きてると色んなことがあって面白いですね。
私にとってのタイミングは、「今」だったんでしょうね、きっと。

Share this...
Share on twitter
Twitter