なぜ人は推しカプに「何でもない日常」を送ってほしいのか

ドラマチックな創作はもちろんそれはそれでとても人気があるけれど、こと二次創作においては「推しカプがただただ何でもない日常を過ごす」話やイラストも人気があるなぁと感じる。私ももれなく好きです。

私は日常生活においても平穏を好む傾向があり、ただ寝て起きてご飯を食べて寝て一日を終えるみたいなのが好きだし、長く一緒にいる相手に求めるのは「派手に楽しめるかどうか」よりも「物事について静かに落ち着いて話ができるかどうか」で、自分以外の人間についてもそういう関係を築いている人達を見るのが好きだから二次創作でもそういう話ばかり書いてしまうのだけれど、他の人はどうなんだろうなぁと、よく思う。

私は二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタクだから普段の傾向がそのまま創作にあらわれてしまう事が多いのだけれど、「自分が送りたい日々は全く違う種類の日々だけど、推しカプには何でもない日常を送ってほしい人」もやっぱり一定数はいるもんなんだろうなぁ…

「推しカプの何でもない日常話」が好きな人は、他の人に比べて自分の日常生活でも平穏を好む傾向があるんだろうか。どうなんだろう。そんな統計無いからわからないけれど。気になる。

本当は「自分の好みを推しに重ねる」んじゃなくて、「推しが生きたいように生きる」姿を文字にしたいんだけど…いや、一応極力「私の好みの押しつけ」にならないよう、「推しにとってありえるかもと思えるような一場面を描く」ように気を付けてはいるんだけど…
創作ってどうしたって書き手の価値観が滲み出てしまうとは思うけど、こと二次創作についてはできる限り気を付けられたらなぁとは思う。「人様の子」をお借りしている訳だから…(人様のうちの子にあんなことやこんなことをしていただいている訳だが…)

ここまで書いてきて何だけど、「何でもない日常話」っていうといわゆる「ほのぼの」みたいな創作を思い浮かべる人が多いのかなって思ったけど、人によって「何でもない日」の内容って違うから、大多数の人から見たら「波乱万丈な」「バイオレンスな」日、が「何でもない日」っていう人も世の中にはいる訳だからなぁ。
もしかしたら、皆からはそう思われている創作が、書き手さんにとっては「日常話の本」なのかもしれないですね。

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