同人誌の部数の話

初めて同人誌を作った時、どうやって部数を決めたかは覚えていません。多分30冊ぐらいかなぁ。なんとなくで決めて。
コピー本で、確か40ページぐらいの本だったと思うんですけど、両面刷りだったとして1冊の原価が200円ぐらい。30冊だったら6000円…今ならポンと出せるお金ですけど、当時の私にしたら1カ月のお小遣いより高いかもしれない。そう思うと15冊ぐらいだったかもしれないなぁ。

私が印刷所に初めて入稿した頃はまだオンデマなんてものは無くてオフセットしかなかったので最低部数は50部、という感じでした。だから多分初めて印刷所に出した時は50部か80部ぐらいで刷ったんじゃないかなぁ。あんまり覚えてないけど、すごい余った気はします。

オンデマ時代から始めた方で初めて出る方は10部とかしか刷らない方もいるみたいだけど、私の最低基準が「50部」なのはよく考えたらオフセ時代の名残なんだろうなぁと思いました。売れるかわからなくても、見込みが全然無くても、50部は刷ってしまう。。。

部数を決める基準て、人によってまちまちなんだろうなぁと思います。
なんとなくですけど、あんスタ同人の印象は「1度のイベントで売り切ることができるぐらいの数を刷る」方が多いのかな…?という感じです。
「売れるか不安だからほんのちょっとしか刷らない」方や「予想外にたくさん売れた」方もいると思うのですが、単純に「午前中に『売り切れました!』を言うのが気持ちがいいから最初から意図的にそのぐらいの部数しか刷らない」みたいな方もいるんだろうな~と思います。同人活動ってどこに「楽しい」「気持ちいい」を感じるか、何を重視するかが人それぞれなのが面白いところです。
あとは私が今まで活動してきたジャンルに比べるとサークル側の方の平均年齢が若いので、「親と一緒に住んでいて同人活動がバレたくないので家に在庫を置きたくない」「一人暮らしだけどスペース的に在庫を置く場所が無い」「印刷代をそんなにかけられない」みたいな理由もあるのかな…?と思ったり思わなかったり。どうなんだろうな~。

私の場合は
①自分の中に「このページでこの装丁なら〇円以上にしたくない」というのがあって、単価がその値段になるようにする
②在庫を1年は持たせたいので今まで刷った感じから推測してそうなるようにする
…という両方の条件を満たすにはどのぐらい刷ったらいいかな~と考えて決める、みたいな感じです。自分が後からそのジャンルにハマった時に、数年前の本がまだ買えたりするとめちゃくちゃ嬉しいので…「あとから村に来てくれた人」にもできる限り本を揃えておきたいな…みたいな気持ちが私は強いのです。

あと、単純にそこそこの年数社会人をやっているので「そんな風に部数を決めたとして、例え1冊も売れなかったとしても生活に支障が出ない」ので今の条件が成り立っていられるんだろうなぁと思いました。
そもそも金銭にある程度以上の余裕が無かったら私は同人誌をやらないと思いますが、「学生時代」と「今」では元手が違うからな~。学生時代だったら今と同じ条件で刷りたいと思ったとしても金銭的に無理があっただろうから、「自分が無理なく刷れる額で刷れる分だけ刷る」ってなっていただろうなぁ。

そして嬉しい誤算なのですがみか宗本、5冊出したうちの4冊に「1年在庫を持たせられたいない」事案が発生しており(しかもうち2冊は3か月持たせられていない…)、自分的には「何やってんねん自分…『刷らなすぎて後悔より刷りすぎた在庫の山見てガハハハ』がお前の信条やろ…!!!」という感じです。。。
特にこの5月に出した本は「にょたは駄目な方もいるし、コロナで当分現地イベントは出られないからこのぐらいで足りるだろう」と思っていたらむしろ普段より手に取ってもらえたのではぐらいで…世の中のみか宗需要、そして「にょたというものが好き」需要を舐めていました…バカ―!!!!!!!

次の本は…強気の発注で…行くぞ…!!!!!(そういう本に限って山ほど在庫抱えちゃったりするんだよな~…わはははは!!ええねんええねん!!!)

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宣伝をするということ

なんとなくですけど、「自分の作品や本についてしれっと一度だけ告知ツイートをして、それだけで」RTやいいねがバンバン付くとか。pixivのブクマがすごい数付くとか。イベントや通販で瞬時に本が売り切れるとか。そういうのが「かっこいい」みたいな感覚、ないですか。
「売れること・見てもらうことに決して必死になってはいないんですけど、結果として見てもらえてます」みたいなのがかっこいいっていう感覚、ないですか。
「あんまり繰り返し宣伝するのはなんかガツガツしててかっこ悪い」みたいな感覚、ないですか。
私はそんな感覚、0では無いなぁと思います。なんか「背中で語るクールな実力派~!!」みたいな感じでかっこいいじゃないですか。

でもまぁ実際自分もTLを常に追えているわけでは無いですし、何度も作品をRTして下さる方には「見逃さずにすみました、ありがとうございます!!」の気持ちもや「一度しか告知が無いと見逃すから何回でもRTしてほしいし、せめて固定ツイートにはしておいてほしい…!!」という気持ちもものすごくあるんですよねぇ…
まぁ公共事業じゃないですし、あくまでも「宣伝活動も含め、趣味の範囲でその人のやりたいようにやる」のが同人活動なんでなんとも言えないんですが…

私自身はこれにも書いたんですが、「私の本の需要はめちゃくちゃ多くはないけど一定層にはある気がしている」ので、まだ出会えていないそういう人に届いたらいいな~という気持ちで定期的に既刊や過去作の宣伝をさせてもらっています。自分も実際、書き手さん本人やRTでそういう形で本を知って買わせていただくこともあるので。

あとは私が応援させていただいているモーニング娘。’20の生田衣梨奈さんの影響も大きいかな~と思います。
生田衣梨奈さんは「売れたい」という気持ちに積極的且つ、それを隠さない方です。

「アイドルに興味がない人にモーニング娘。’20を/自分を見つけてもらうにはどうしたらいいか」「『日本代表』として、海外でも人気のアイドルになりたい」と考え、「他のアイドルとのツーショットをアップすると伸びるし、打算的ですけど、私もどんどんあやかろうと思ってます(笑)。」と清々しいまでの本音を語る生田さんの前向きさが私は好きで、「よーし!私も『まだ見ぬ私の作品が好きな人』に届くよう、積極的に宣伝をしていくぞ~!!!」という気持ちにさせてもらえるんです。

こういう状況で、なかなか「雰囲気買い」が起こりにくい状況なのでご新規読者層開拓は難しいかなぁと思うのですが、自分の既刊や新刊、人様の本や作品も、「届くべきところに届け~」の気持ちで、ささやかながら綿毛をうちわでそよぐ…ぐらいのことはできたらいいなぁ、なんて思っています。

ちょうど、こんなアンケート結果の記事も上がっていました。

ありがたいことに、私の体感としてはみか宗本については通販のみの販売になってもイベントとあまり変わらない数、手に取っていただけているなぁ…という実感があります。
でも購入方法が分散したり…ということでどうしたって全体的には購入数は落ちますよね。同人誌はある意味「生活必需品」ですけど、やはり「娯楽品」ではあるので…
「『本当にほしいもの』だけを買うようになって良かったのでは?」という考え方もあるかもと思う一方で、「ハレの日無しじゃ毎日を頑張れないよ~~~~」という気持ちも…

わが家の本は、「穏やかに暮らす日常(上質な暮らし、ではない)」が好きな方には気に入っていただけるんじゃないかな…?と思っています。
おそらくこんなところまで読んで下さっている方は本も既に読んで下さっている方だろうなぁと思いつつ、あのモーニング娘。’20でさえメディアに乗る時は毎回プロフや公式ページへのQRコードを載せる訳ですから、私レベルは機会ある度にしっかり宣伝させてもらおうと思います。
良かったらぜひ一度、読んでみてください。好きそうなお友達がいたら「好きそうなのあるよ~」って教えてあげてもらえたら、嬉しいです。

「しゃらん」とらのあな:通販ページ

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6.7月の振り返り

6/28から突如始まったこのHPですが、1カ月ぐらい経ったので比較的反応のあった(拍手が多く押された)ページや印象深かったページなどについてコメントしていこうかと思います。

ニキ燐 ワンライ「キス」
これは小話だったのとR18だったので反応が多かったのではないかな…と思います。初めて拍手からメッセージが飛んできて驚いたのも良き思い出です。ありがとうございました。

物心をついた頃から同人活動をしていた
この記事が比較的反応を頂いたことにはちょっと驚きました。どの辺りが読んで下さった方に拍手ボタンを押させたんだろうなぁ。
何かを創作する、改善・改良するということが私は好きです。

創作物をこんなに簡単に「消費」してしまっていいのだろうか、と思う
買うだけ買って読めていない同人誌があったり、ツイッターに「流れて」くる作品(特にワンドロ/ワンライとか)に対して思う、複雑な気持ち。自分の作品はできれば消費されたくないのに人の作品を消費してしまっているという苦しさみたいなものが常に気持ちのどこかにあります。消費されないような作品を書き続けたいとも思います。

二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタク
なぜ人は推しカプに「何でもない日常」を送ってほしいのか
何となく関連性を感じるブログ。私は「自分と地続きにない物語」を書くのが苦手です。

私はモテたかったんだな…!?ということに気付いた、という話
2次元でも3次元でも「モテモテ」だったことがない。一度体験したら何か見えてくるものがあるのかなぁ。でも「体験しないとわからない」説を私は推したくないので、伝聞やイマジネーションで頑張ろうと思います。
「FF外通知切ってます」「カプ名」をプロフに表記する意図とは
たくさんのフォロワーやファンがいることと「自分がしたいコミュニケーションができるか」は別の話
この辺の記事とも関連があるかな?

よくわからないけどこのアカウントだとかっこつけてしまう、という話
この記事を書いたら気が楽になったのか、かっこつけるのを徐々にやめられるようになってきた気がします。クールでスマートなアカウント運営なんて私には無理だったんや…私はAM深夜ラジオリスナーやねん…
そうか、AMラジオだったんだ

生きてる相手に自分の気持ちを伝えられる手段があるってありがたいことだよ
つい最近も、「すごく面白いなと思った本の作者が既にお亡くなりになっていた」ということがあった。まだお若い方だった。この方の新作を読むことは永遠に叶わないしファンレターを書くこともできないんだなと思ったら何とも言えない気持ちになった。
伝えられる手段があるうちに、プラスの気持ちは可能な限り伝えていきたいものだな、と改めて思った。

「どちらが左右か、という事を重要視する」というのはどういうことなのか
このことだけじゃなく、いわゆる「女性向け」には不思議な/興味深い文化が色々あるなぁと思います。「女性文化」を楽しみつつ、マイペースに活動していきたいものです。

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「どちらが左右か、という事を重要視する」というのはどういうことなのか

私は同人歴は長いんですけれど男の子同士の本を生まれて初めて出したのは2018年の初夏なので、それからまだ2年ぐらいしか経っていないんですよ。
その後、2019年にみかの本を出してからは主にあんスタで色んな男の子同士の本を出してきたんですけど、なぜ今になって急に男の子同士の本を出し始めたのか、自分でも謎なんですよね…

別に、特に男性同士が恋愛関係になる的なことに抵抗があったという訳でもないし、特に避けてきた訳でも無いんですが、読み手としても男の子同士の本を意識的に買うことは無かったんですよねぇ。作家買いしてる同人作家の人がそういう本を出せば買ったりはしていたんですが。

なので、急に男の子同士の本を出し始めたのもあんまり理由らしい理由が今でもわからなくて、「たまたまこのタイミングで、なんとなくいいなと感じたから」としか言いようがないんですよね…

読んだり書いたりしてみて思ったのは、男女カプというのは大多数の場合、いわゆる「左右がはじめから決まっている」のに対し、同性同士のカプだと「どっちがどっちか」みたいなのを考える・感じるところからはじまるのが面白いな、と思いました(今思えば男女カプでもなんで左右固定だと思ってんねん自分…というところではあるんですけどね)。

今でも面白いな、興味深いなと思っているのは、少なからぬ人が「どっちが左でどっちが右なのか」ということに非常に重きを置いている、という事実が存在する、ということです。別に煽っているとかそういうことではなく、単純に「なぜそれを、その二人の関係性においてそんなに重要視するもんなんだろうなぁ」ということに、興味があります。
人間同士の関係性においては、色々な種類の「どっち」が存在するはずなのに(例えば主にお風呂洗いをするのはどっち、とか)、こと「左右」に感心・興味が集中するって、人々に/個々の人にどんな想いがあるからなのかな~っていうのに、興味があります。

なんで生身の人間には「パートナー同士であったとしてもそこに性的な接触を含むか含まないかは当人同士が決めること。他人がとやかく言う事では無いし、下世話な事を言うのは失礼。自分も言われたくない」と思っている人も多いでしょうに、「推しカプ」には性的接触を求めたくなる、はやしたてたくなるもんでしょうねぇ…。不思議なもんです。これが「2次元と3次元は別」理論てやつなのか…?
推しカプの成人向け本、いっぱい読みたいもんなぁ~…

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なぜ人は推しカプに「何でもない日常」を送ってほしいのか

ドラマチックな創作はもちろんそれはそれでとても人気があるけれど、こと二次創作においては「推しカプがただただ何でもない日常を過ごす」話やイラストも人気があるなぁと感じる。私ももれなく好きです。

私は日常生活においても平穏を好む傾向があり、ただ寝て起きてご飯を食べて寝て一日を終えるみたいなのが好きだし、長く一緒にいる相手に求めるのは「派手に楽しめるかどうか」よりも「物事について静かに落ち着いて話ができるかどうか」で、自分以外の人間についてもそういう関係を築いている人達を見るのが好きだから二次創作でもそういう話ばかり書いてしまうのだけれど、他の人はどうなんだろうなぁと、よく思う。

私は二次元と三次元が明確に別れていないタイプのオタクだから普段の傾向がそのまま創作にあらわれてしまう事が多いのだけれど、「自分が送りたい日々は全く違う種類の日々だけど、推しカプには何でもない日常を送ってほしい人」もやっぱり一定数はいるもんなんだろうなぁ…

「推しカプの何でもない日常話」が好きな人は、他の人に比べて自分の日常生活でも平穏を好む傾向があるんだろうか。どうなんだろう。そんな統計無いからわからないけれど。気になる。

本当は「自分の好みを推しに重ねる」んじゃなくて、「推しが生きたいように生きる」姿を文字にしたいんだけど…いや、一応極力「私の好みの押しつけ」にならないよう、「推しにとってありえるかもと思えるような一場面を描く」ように気を付けてはいるんだけど…
創作ってどうしたって書き手の価値観が滲み出てしまうとは思うけど、こと二次創作についてはできる限り気を付けられたらなぁとは思う。「人様の子」をお借りしている訳だから…(人様のうちの子にあんなことやこんなことをしていただいている訳だが…)

ここまで書いてきて何だけど、「何でもない日常話」っていうといわゆる「ほのぼの」みたいな創作を思い浮かべる人が多いのかなって思ったけど、人によって「何でもない日」の内容って違うから、大多数の人から見たら「波乱万丈な」「バイオレンスな」日、が「何でもない日」っていう人も世の中にはいる訳だからなぁ。
もしかしたら、皆からはそう思われている創作が、書き手さんにとっては「日常話の本」なのかもしれないですね。

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ニキ燐 ワンライ「甘えんぼ」

「ただいま……っと?」
「あ、燐音くん。おかえりなさいっす」
 靴を脱ぎ、部屋に一歩入ろうとして燐音は思わずぎょっとした。テーブルの上には既に溢れんばかりに料理が並んでいるというのに、ニキの手元で揺れる中華鍋には大皿山盛り分はありそうな野菜炒めが勢いよく踊っているのだ。
「あはは、なんか最近ストックしてたレシピ試してたら、気がついたら作りすぎちゃってて……これで最後っすから、もうちょっとだけ待っててほしいっす」
 そう言ってへらへらと口元だけで笑いながらフライパンを揺するニキの横で燐音は手を洗うと、冷蔵庫からビールを取り出し鞄をベッドに放った。缶を開けるとプシ、と燐音の大好きな音がして、こぼれそうになる泡にすかさず口を付ける。旨ぇなぁ、と思いながらキッチンの方を見ると、いつもより少し強張った背中のニキが皿に料理を盛り、手早くフライパンを洗っている所だった。
「さーできた!あったかいうちに食べるっす~!」
 そう言って持ってきた料理も、既に並んでいた料理も、当たり前のようにどれも美味しそうで
「いただきます」
 と言って二人で手を合わせる。
「んー、この野菜炒め、ちょっといつもと調味料変えてみたんすけど、これはこれでさっぱりしてて美味しいっすね」
 まずはできたての物に手を付けながら、ニキがべらべらとお喋りを続ける。曰く、新しく入った料理人から教わったレシピなんだとか、最近スーパーの鮮魚コーナーに珍しい魚が入りやすくなっただとか。
「我ながら、この照り焼きは上手くできたと思うっす。お酒にも合うんじゃないっすか? 飲めないからわかんないっすけど」
 ロケで行った先で食べたスイカがびっくりするぐらい瑞々しかっただとか、この前出た大食い番組の反響がすごく良かっただとか。よくその勢いで食べながら喋れるもんだと感心しながら、燐音はビールを飲みつつそれぞれの料理を少しずつ摘んでいた。
 ニキは「強い」けれど、自分の気持ちを自覚したりそれを言葉にするのが上手くはないから。時々こうしてちょっとだけ、燐音の前でだけ「おかしく」なるのだ。それが、なんでだかはわからないけど燐音にとっては嬉しくて。こうして酒を飲みながら少しおかしなニキを浴びるのは、燐音にとって最高の「御馳走」だった。
 だから、いつものように喋りまくるニキに「うん」とか「ああ」とか適当に相槌を打って、酒を飲んでいたら。気がつくと、むぅっとむくれた顔をしてニキが燐音を睨んでいることに気がついたので
「んだよ」
 燐音はそう声をかけた。
「なんか、燐音くんも喋って下さいよー。僕ばっかり喋ってたら食べる暇が無いっす」
「はぁ? お前散々今まで食ってただろうがよ」
 そうは言いつつも、ニキの顔がいつもの呑気な表情になっているのを見て密かにほっとすると
「そうだ、俺見たいやつあるんだった」
 と言ってテレビを付けた。
「もー! 燐音くんて、いつも好き勝手っすよね~」
 そう言っておかわりに席を立つニキの背中が柔らかさを取り戻していて、やっぱりこっちのニキの方がいいなと燐音は思った。
「ニキちゃーん、なんか缶が空になったー」
 と軽くなった缶をぶらぶらと揺すって見せると
「はー、ほんっとこの人、年上の癖にちっちゃい子みたいっすねー」
 とニキは呆れながらも冷蔵庫から新しいビールを取ってくれたので
「へへ、可愛い子には優しくしてくれよなぁ? おにーちゃん♡」
 と首を傾げてみせると
「バカなこと言ってんじゃないっすよ、この年上のヒモ!!」
 と言って、ニキはよく冷えたそれを燐音のおでこに押しつけた。

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そうか、AMラジオだったんだ


私はラジオが好きなんですよ。シャレオツFMミュージックラジオじゃなくて、AMで深夜にやっているモテない男子がハガキ職人やってる系のラジオが特に…(褒め言葉です)

最近たまに「HPのやつ読んでます~」と言っていただけることがあるんですが、その時に感じる嬉しはずかし感てなんだろ?って考えてツイートしたのが冒頭のやつです。
書いた物語に言葉をもらうこともものすごく嬉しい。でもそれとはまた違う感情として、AMラジオで好きに喋ってるのを「聴いて」もらえていると教えてもらえると、「え…この人はもしや私と言う人格に興味を持って下さって…?」みたいな喜びが湧いてくるんですよねぇ…

ここに書いた通り、私は「作品を通じてのみ」私と接する人がいることは全然良いというかむしろそこで接点ができて嬉しいですなんですが、それはそれとして「喫茶店や居酒屋で気を遣わずに雑談できる人と知り合えたらいいな」という気持ちもあるので、ここを定期的に見てくれる人はそんな可能性が高い人なんじゃないかな…?とか思って勝手に一人で嬉しくなっている、という感じです。

もはやそういう日が取り戻せるのかわからないけれど、もしもまたイベントが気楽に開催される日々がやって来たとしたら「ブログ読んでちょっと雑談してみたくなった~」っていう人がスペースに来てくれたらいいのになぁ、とかそんなことを夢見ています。雑談しようぜ~!

そんなわけで、HPの名前をちょこっといじってみました。気分でまた戻すかもしれません。

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私はモテたかったんだな…!?ということに気付いた、という話

私は元々自己肯定感が高い方だと自覚しているし、自分が書く話も好きです。
書いている最中は「えっ…これ面白い…? ていうか話として成立してる…???」と迷走するけれど、本になったものを読み返すと「えっこの話めちゃくちゃ面白いって言うか好みなんだけど誰が書いたの…!?……俺か……」みたいに思うことがしょっちゅうあります。
もちろん至らない部分は山ほどあるけれども、それを差し引いても私は自分の書く話がすごく好きだし、それは昔から変わらない、おめでたい人間です。

それはさておき、私は同人歴は長いけれども売れっ子だった時代は一度も無いんです。謙遜ではなく事実として、本当に無い。
しかしながら、手に取って下さる方は確実にいるんですよね。そして、いわゆる「作家買い」して下さる方や、単純に私という人間を好いて下さってイベントの時にいつも声をかけて下さる方もいらっしゃいますし。これもまた、事実として本当にあるんです。大変にありがたいことだと思います。

ここでも書いたんですけど、私は日常生活においては人目をあまり気にしない方ですし、「気を遣って生きても好きなように生きても好いてくれる・嫌ってくる層が一定層いるなら、好きなように生きよう」「なるべくありのままで生きたい。これは抜き立ての泥付き大根を『食べて下さい!』と出す、という意味ではなく、手入れをした畑で手間暇かけて育てた大根をきちんと洗い、丁寧に調理したふろふき大根として『食べてみていただけますか』とお出ししたい、ということだ」みたいな気持ちで生きていまして。
同人活動においては、「売れっ子ではないけれども、作品を通じて何かが通いあった方々」が一定層いてくれるなぁとも感じているので、満足している部分もあるんですよね。実生活だって、知り合う人の中で、本当に気持ちが通い合う人なんて1%もいない訳ですし。

なんですが、いつも自分の気持ちの中に、漠然と「売れっ子さんっていいな~」みたいな気持ちがずっとあったんですよ。それって何なのかな~?なんでだろう???と、ここのところよく考えていたんですが。
最近になって、「私…モテたかったのかな…?」という結論に達しました。

普段の生活でも、いるじゃないですか。モテる人って。それこそ集団生活が始まる保育園・幼稚園時代からはじまって、社会人になっても「モテる人」って、いるわけですよね。そしてそういう人を見て「いいなぁ~」と思う気持ちがあった時期が私にもあるんですが、ネットや同人活動をしている中でも「全くモテない訳ではないけれど、モテモテ気分を味わったことがない私」は、一度でいいからモテモテ状態を味わってみたかったのかなぁ…と思いました。と言うか、そう考えてみるとすごくしっくり来たんですよね。

と同時に、それがわかったことで逆に「モテたいという自然な気持ちを否定する事はしないけど、今までよりは『モテたい』気持ちが落ち着くかも」とも、思ったんですよ。
なぜかと言うと、実生活を通じて「モテるのは確かに気持ちが良さそうだし楽しそうだけど、モテモテになれなくても自分を好いてくれる人と出会えて、その人達と交流できるのならそれはそれで十分に幸せな人生だ」というのが実感できているので、「モテたらモテたでいいだろうけど、モテないと人生がつまらないという訳ではない」という安心感みたいなものが持てたからかなぁ~と思いました。

まぁ、人生で一度ぐらいモテ期みたいなのも味わってみたいな~とは思いますけどね…ふふふ…庶民の憧れ…

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たくさんのフォロワーやファンがいることと「自分がしたいコミュニケーションができるか」は別の話

タイトルが結論…という気はするんですが、もう少し詳しく書いていきます。

Twitterにアカウントを持っている人や同人活動をしている人は世の中にたくさんいますが、「アカウントを持っている理由」「同人活動をしている理由」は人によって違うと思うんですよね。
例えばTwitterの場合、情報収集のためとか。何か発信したいことがあって、その宣伝用としてとか。同じ趣味の人を探したいとか。メモ帳代わりにしたいとか。同人活動の場合、萌えの昇華とか、解釈の具現化とか、承認欲求とか。

そして、「それを通じて、誰とどんな風にコミュニケーションを取りたいか」も人によって違うと思うんですよね。
とにかくたくさんの人からの反応が欲しいとか。褒めまくられたいとか。身内で楽しくやりたいとか。自分がやりたい事をやりたいだけで、別に反応はいらないとか。

そして、その「取りたいコミュニケーション」て、フォロワーやファンが増えれば叶うタイプのものもあるんでしょうが、そうじゃない種類のものもあるんだろうな~っていうのも思うんですよね。

私はネットやイベントで感想を伝えさせてもらうのが好きなので色んな方に伝えさせてもらっているんですけど、「どう考えてもめちゃくちゃ本が売れている方」でも「手紙ってめったにもらわないから嬉しいです」とか「こんなに感想言ってくれた人初めてなんで嬉しいです」とか言われたことが一度や二度じゃなくて…
「えっマジか…絶対私以上にこの人の作品好きな人無限にいるだろうに、皆さんめちゃくちゃシャイなのか…!?」と思うことは割とよくあります。
書き手の中には感想特にいらないマンの方もいますし、「自分と合う人とだけコミュニケーションを取りたい」という人も中にはいるので一概には言えませんが、書き手というのは概ね「自分の作品に対する(できれば良い)反応」があるなら聞いてみたいと思っているのに、「作品を発表しているにも関わらず、フォロワーやファンもたくさんいるのに、そういうコミュニケーションをとってもらえない場合」もけっこうあるものなんだなぁ…と思います。

Twitterだと、特に上手い絵を描く絵描きさんはものすごい数のRTやいいねをもらっていたりしますが、それってどのぐらい「嬉しい」ものなんだろうなぁ、とよく思います。
単純に「1人でも多くの人に自分の絵を見てもらいたい」人ならたくさんの反応が嬉しいのかなと思うんですけど、「そもそもその人はどうして『見てもらいたい』って思ってるんだろう?」と思うと、「視覚情報として認識してもらいたい」というよりは「自分の絵を見てプラスの感情を持ってもらいたい」とか「上手だなぁ、すごいなぁと思ってもらいたい」みたいな価値が乗っかっているのでは?と思っていて、そういうのって単なるRTやいいねだけでは果たして満たされているものなんだろうか…?と単純に聞いてみたくなります。
人によっては、RTやいいねだけでももちろん嬉しいけれど喜びはそこまでではなくて、リプや引用RT、RTの後の一言に「感想」みたいなものがついているのが嬉しい、みたいな方もいますよね。人によって色々なんだろうなぁ~と思いながら「売れっ子」さん達のRTやいいね欄を見ています。

そういうお前はどういうコミュニケーションをとりたいんだよと言われると、この辺とかこの辺と似た感じになっちゃうんですけど、好きなコンテンツとかキャラやカプについてキャッキャするのももちろん好きなんですけど、「何かを通じてその人が何を感じたか」を聞くのが一番好きなので、そういうコミュニケーションを取れた時がTwitterをやっていても同人活動をしていても、一番楽しいですね。
そして、決して「売れっ子」ではありませんが趣味を通じてそういう人と知り合えて、自分の好きなコミュニケーションができている今はとても楽しいです。というお話でした。

結論に対しての文章が冗長…頭の悪さの露呈…でもありのままの自分で生きていくしかないという事実…頑張って生きてこーぜい…

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物心をついた頃から同人活動をしていた

というのは大袈裟だけれども、「同人誌」という概念を知る前から授業中に絵や文を書いて冊子にして、クラスの気の合う子に読んでもらったりしていた。それが小学校高学年ぐらいの頃。
「同人誌」という概念を知った時は、「ああ、私がやりたいやつってそれじゃん。それをやってる人達がもう世の中にいるのか。私もそれに加わりたい」みたいなことを思った気がする。

小6の冬に初めてコミケに一般参加して(今思えばサークル側の人は「えっ、子どもが歩いてる…?」と驚いていたのではなかろうか。高校生ぐらいの子ですらイベントで見かけると「めちゃくちゃ若い子がいる!!」って思うもんな…)、中1で初めて地元の即売会に出た。コピー本2種と、手作り便箋・封筒・シールのセット。今の私からは考えられないが、1週間前には製本まで全て終わっていた。
1冊も、1種も売れなかった。それでも、不思議と心は折れなかった。イベントに出ようと誘ってくれた友達は多分それ以後イベントに出なかったように記憶しているが、私はその後も活動を続けようと思った。
(ちなみにその時に隣のスペースだったお姉さんは優しい笑顔をした、優しい絵柄で優しいお話を書く方で、あの人まだ書いてらっしゃるのかなぁと思って数年前にググってみたらプロになられて某人気アイドルでドラマ化もされていた。びっくり)

義務教育が終わってすぐにコミケに申し込んだ。生まれて初めてコスプレもした。今思えばなぜ冬コミでノースリーブキャラをやろうと思ったんだ私。
母にコスプレ衣装を作らせ・トーンとベタを手伝ってもらい、弟に印刷発注書のコピーを取りに行ってもらってたりしたなぁ…

ずーっと書き続けている訳ではない。日常生活が忙しい時や、書きたい気持ちが湧いてこない時は何年も書かない期間もあった。
でも、「あ、書こ」という気持ちになるとすぐにイベントに申し込むのはずっと変わっていない。漫画・小説、二次創作・一次創作、形は変われど、「何かを本にしたい、誰かに伝えたい」という気持ちがある限り、それを表現したいという想いはずっと変わっていない。

カートを自分で引き続けられる限り、同人誌即売会に参加したい。
むしろ、なるべく長く同人誌即売会に出られるように体力と健康を維持したい。

何でそんなに同人活動が好きなのか自分でもよくわからないけれど、自分の人生の居場所の一つの場所として同人誌即売会がずっとあってほしいなぁ、と思う。

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