君が芽吹いたその季節に

付き合って数年後の白田さんの誕生日のお話です。
春白についてはこちらにまとまっています。
ちなみに白田さんのお誕生日はいつかと言うと、5/23です。

窓を揺らすカーテンが柔らかく揺れている。空にはぽつぽつと雲はあるものの、雨が降る様子の全く感じられない蒼が遠くの方まで広がっていた。
「れい、そろそろ起きられるか」
 襖を開け布団の中にいる麗蘭にそう声をかけると、由紀夫は身をかがめて麗蘭に唇を落とした。ううん、という小さな声と共に切れ長の瞳がゆっくりと開いていく。何度か瞬きをしたあと「おはようございます」と言って身を起こそうとした麗蘭は、しかし自分が何も身につけていないことに気がついて慌てて布団に包まった。
 そんな麗蘭の額にもう一度口づけをしてから、由紀夫は「朝飯もうできるから」と言って台所の方に戻っていった。
「着替えたらすぐに行きます」
 麗蘭はそう言うと布団の中から手を伸ばして襖を閉め、近くに放られていた部屋着を手に取るともぞもぞと着替えはじめた。手ぐしで整えた髪には少し寝癖がついているのがわかり、昨晩のことを思い出した彼女の頬をほんのりと染めた。
 いつからか、そういうことをした次の日の朝食は由紀夫が担当するというのが恒例になっていた。今日由紀夫が食卓に運んでいるのは玄米入りご飯、豆腐とわかめの味噌汁、サラダ。そして質素な暮らしをしている二人の食卓にいつもは決して上がることのない金目鯛の煮付けである。朝からこんなに豪華な魚が食卓にあるのは、これが「麗蘭の誕生日を祝う日の朝食」だからである。
 麗蘭の誕生日は実際は数日前だったのだが平日は定時制高校に通う麗蘭が夜まで授業なのもあり、一緒に住み始めてからはお互いの誕生日当日はケーキを食べてプレゼントを渡すのみに留め、お祝いはその次の休みにゆっくり行うことにしていた。そしてそのお祝いムードは大抵前日の夜からはじまるので、まぁ大抵そういうことをする流れになるのである。
「わぁ、いい匂いですね」
 寝室から出てきた麗蘭はそう言うと洗面所に行って手早く洗顔を済ませ、料理が冷めるのが一秒でも惜しいとでもいうようにすぐに食卓に戻ってきた。コップと麦茶を持ってきた由紀夫も向かいに座ると、いただきますと手を合わせて二人の朝食が始まる。公園にでも遊びに行く子ども達だろうか。小学生ぐらいの男の子達の声が遠くの方から聞こえ、また反対側の方に去って行った。
「春日さん、お料理が本当に上手になりましたよね。この煮付け、すごくおいしいです」
「ああ、なら良かった」
 済ました顔をして由紀夫は答えたが、内心ほっとしていた。高い魚なので事前に練習するような機会も無く不安だったが、これまでの麗蘭の教えの甲斐もあって悪くない出来だったようだ。
 二人で一緒に暮らしはじめてから、麗蘭が作った料理を毎日食べられるのは由紀夫にとって嬉しいことだった。しかし麗蘭には学校だけで無く仕事もあり、さらにそこに家事まで加わるとなると「全ての料理を麗蘭にお願いしたい」とはとても思えなかった。幸か不幸か由紀夫は仕事が無い時もあったため、他の家事も含めてネットで見たり麗蘭に教わったりしながら少しずつ家事全般についてを上達させていったのだ。
 一人暮らしの時はとりあえず最低限暮らせれば良かったが麗蘭と一緒ではそうはいかなかった。と言うより、麗蘭に対しては自然と「金はかけられない分せめて手間だけでもかけて気持ちいい毎日を過ごさせてやりたい」という気持ちが湧いたのだ。これは互いに実家に住んでいた学生時代には思ったことがなかった感情だった。
 麗蘭に料理を教わり始めた頃は由紀夫がそこに加わることで料理の見栄えも味も悪くなったし何より時間がかかってしまい、ただでさえやることの多い麗蘭の時間をさらに奪ってしまっていた。裏稼業をしていた時にもっと真面目に食事当番をやっておけばよかったと、あの時ほど思ったことは無い。
 しかしそんな由紀夫にも麗蘭は実に根気よくつき合ってくれ、できていることは褒め、上達すればすぐに気付いてくれたし、何より「一緒に料理をするって楽しいですね」とよく言ってくれていた。その表情と声色からそれは決してお世辞じゃないことがわかったし、母は何もしない人だったと語ったことのある彼女から出てくるその言葉には「普通の」家庭で育った人間が言うそれとはまた違った意味も含まれている気がして、由紀夫はこれからも料理を続けよう、二人で一緒に料理をしていこうと心密かに誓ったのである。
「この野菜もおいしいです。春日さんが毎日手をかけてくれてるおかげですね」
 サラダを食べていた麗蘭が、ベランダのプランターを眺めながら言った。サラダの器にも入っているサニーレタス、スナップエンドウ、ハツカダイコン達が気持ちよさそうに風に揺れている。今やすっかり由紀夫の趣味となった家庭菜園も、元はと言えば麗蘭がやっていたものだった。ある時ホームセンターで種を選んでいた麗蘭に「春日さんも良かったらやってみませんか?」と言われ、正直興味はなかったが麗蘭がそう言うなら一度ぐらいはつき合ってみるかと思ってやってみたら案外由紀夫の方がハマってしまったのである。思えば学生時代も含め車以外に趣味らしい趣味も無かった由紀夫だったが、今では家庭菜園の番組を見たり本や雑誌を見て調べたりすることがあるぐらい没頭しているのである。
 しかしこれだって料理と一緒でやり始めの頃に麗蘭が色々教えてくれたりその都度「よく育ってますね」「おいしいです」と言ってくれるからここまで続いた部分は大きいと思っていた。おそらく麗蘭自身は母からそんな言葉を受けては育ってこれなかっただろうに、それを人に与えられる麗蘭のことを由紀夫はとても尊敬していた。自分もなるべくたくさん麗蘭に感謝や愛情を伝えていきたい、とも思っていた。
「天気が良くてよかったな」
「ほんとです。雨だったらせっかくのお洋服が濡れちゃいますからね」
 そう言った麗蘭の向ける視線の先にはロング丈のワンピースが掛かっていた。青地に小さな花模様がたくさん散らされたこれからの季節によく似合いそうな半袖のワンピースで、誕生日の日に由紀夫から贈られたプレゼントだ。
 付き合い始めの頃、麗蘭は「自分の欲しいものがよくわからない」とよく言っていた。あんまり物欲が無いんですとは言っていたし実際そうなのかもしれないが、幼い頃に「欲しいと思ってもどうせ手に入らない」という経験を積みすぎて自分の気持ちに蓋をし続けてきてしまったんじゃなかろうかと思った由紀夫は、ことあるごとに麗蘭に「どうしたいか」「何が欲しいか」を問い続けた。初めは二択を選ぶにも時間のかかっていたし由紀夫が何を望むかを気にしていた麗蘭だったが、少しずつ少しずつ「自分の気持ち」を確認することになれてきたのか、今年は由紀夫が誕生日プレゼントについてリクエストを問うと「春日さんとデートする時に着られるようなワンピースがほしいです」とはっきりと答えてくれたのだ。自分は麗蘭から安心して正直な気持ちを吐き出せる相手になれているのかな、と思うと由紀夫は嬉しかった。
「動物園、混んでますかね。私、パンダって見るの初めてだから楽しみです」
 これもまた麗蘭のリクエストで、今日は動物園に行くことになっている。由紀夫自身はパンダに興味があるかと言われれば、全くと言っていいほど無い。しかし例えどこであれ麗蘭と一緒に行けばきっとそれは楽しい想い出になることがわかっていたし、裕福で無い二人はそう遠くへは行けなかったが麗蘭が行きたいと行った場所にはできる限り行きたいと思っていた。
「れい、誕生日おめでとう」
 先に食事を終えた由紀夫は、改めて麗蘭を見つめるとそう言った。出会った頃に比べると少しだけふっくらとして、何より表情が大分和らいでいる。あの頃はどこかいつも不安そうな様子があったが、今は適度な控えめさと彼女が本来持つ優しさがそこには表れていた。
 未だに由紀夫は麗蘭の母親には会ったことが無いので本当のところはわからないが、初めはそれこそ麗蘭自身が思っている通り、望まれない形でこの世に生まれた命だったのかもしれない。だが由紀夫には間違いなくこの世にたった一人の、一番大切な命だ。
「誕生日当日にもたくさん言ってもらいましたけど……何度お祝いされても嬉しいものですね」
 と言って麗蘭は恥ずかしそうに笑った。付き合い始めた頃と比べたら、少しずつ少しずつ愛されることに慣れてくれているような気がして、それが自分のおかげならすごく嬉しいなと思いながら由紀夫もまた麗蘭に笑いかけた。
「ごちそうさまでした、とってもおいしかったです。出かける準備しましょうか」
 自分も食事を終え、そう言って皿を持って立ち上がろうとする麗蘭を由紀夫が制止し
「ああ、れいは準備もあるだろうし、俺が洗う」
 と伝えると
「そうですか? じゃあ今日はお言葉に甘えちゃいますね」
 そう言って麗蘭は目を軽く閉じ手を合わせ、ごちそうさまでしたと小さくつぶやいた。由紀夫と麗蘭の間には小さな瓶に入った花束が飾られていて、それは裏稼業時代に由紀夫が麗蘭に贈ったものに比べればとても小さいものだったが、あの時の何倍もの愛情が込められていた。

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