アイドルの仕事には書き物が多い。雑誌やテレビのアンケートやら、チェキやポスターへのサイン。コズプロのアイドルはESの中ではファンへの書き物は少ない方だと思うが、それでも日常的にこなしていかないと次々溜まってしまうほどにはその仕事は多かった。
ここの所外部の仕事が多かった燐音が事務所の隅で珍しく一人静かにサインを入れ続けていると、事務所の一室のドアが開き、中からHiMERUとこはく、そしてカメラマンにライターと思われる人物が一緒に出てくる。
「記事ができるの、楽しみにしています」
「一番かっこええ写真使ってな~」
二人が愛想よく挨拶をすると、ライターたちは会釈をして廊下を歩いて行った。
「あれ、燐音はんやないの。そないに静かなこと珍しいから、気付かなかったわ」
燐音に気付いたこはくが、そう言いながら燐音のもとへと歩いてくる。
「よォ、なんかの取材か?」
「CDショップ用のフリーペーパーだそうですよ。天城は書き物ですか」
「この色紙が書いても書いても終わんなくてよ……」
そういう燐音の前には大量のミニ色紙が山積みになっている。今度のCD発売に向けた、特典用の色紙だった。
「わしもそれ、この前やっと終わったわ。手が死ぬかと思ったで。なぁ、わしらこのあとシナモンでも行こかって言ってたんやけど、燐音はんも気分転換に一緒に行くか?」
こはくがそう誘うと燐音は一瞬考えるような顔をしたが、首を振った。
「んー、こはくちゃんは燐音くんがいないと寂しいと思うけど、明日からも当分事務所に来れねぇと思うし、今日はこれやっちまうわ」
「はぁ? ぬしはん、一体何言っとるんじゃ。行こ行こ、HiMERUはん」
そう言ってこはくは歩き出したが、HiMERUはまだ燐音の机の向かいに立っていた。
「なんだ~? メルメルも寂しいのかよ。そんなに一緒に来てほしいのか~?」
燐音がそうからかうと
「そうですねぇ。そういうことにして、連れて行ってあげてもいいですけど」
そう言って、HiMERUは涼し気に笑った。燐音ははァ? というような顔をしたが、やがて面白くなさそうに
「別に、結構です~。お気遣いなく~」
というと再びサインに取り掛かった。
「HiMERUはん、行かんの?」
既に先に行ってしまったこはくの声に「今行きます」と答えると、HiMERUは燐音に会釈をして事務所を後にした。
「いらっしゃ……あ、HiMERUくん、こはくちゃん。どぞどぞ、いつもの席開いてるっすよ~」
中途半端な時間のシナモンは客の数もまばらで、二人は当たり前のような流れでCrazy:Bの常連席へと通された。この時間は店員の数も少ないのか、オーダーを取ったニキはそのままキッチンへ入り、ドリンクの準備をしているのが見える。
「ニキはん、こういうとこで働いてるとき、ほんま生き生きしとるなぁ」
思わずこはくがそう言うと、
「そうですね。椎名は食べ物の傍にいる時はいつもいい表情をしています」
そう、HiMERUも返した。しかし、その目はじっとニキのことを観察し続けたままだった。
「はい、お待ちど~っす。この時間はそんなに混まないので、ゆっくりしてって下さいね~」
やがてニキがそう言ってトレーに二人が注文した物を乗せてやってきた。
「おおきに~、うわ~、おいしそうやわ」
抹茶わらび餅を目の前に、こはくは嬉しそうに声を上げた。
「ありがとうございます」
そう言ってHiMERUがコーヒーを受け取るとニキはそのままそこを立ち去ろうとしたが、「そう言えば」と気がついたように言った。
「今日はあのうるさい人は一緒じゃないんすか?」
「ん? ああ、燐音はんか。事務所にいたから誘ったんやけどなァ、書き物が残ってる言うてたわ」
「ずいぶん溜まっていたみたいですからね。まぁ、仕事に真面目に取り組むのは良いことなのです」
HiMERUがコーヒーに口を付けながら言うと
「そっすね~。いやー、燐音くんがいないと仕事が捗って快適っす!」
ニキはそう言うと笑いながら他の卓のオーダーを取りに行った。
「ニキはん、いつも燐音はんに苦労してはるもんなぁ」
口元に抹茶を付けながらこはくがつぶやくと
「そうですねぇ」
と言ってHiMERUは静かにまつ毛を伏せた。
飲食を終えると、今日は私が払いますと言ってHiMERUはこはくを先に店の外に出させた。
「どうもありがとうございました~。次は、明後日に一緒の仕事がありましたっけね~」
そう言ってレシートを渡すニキの目を、HiMERUがじっと見つめる。
「えっ、あれっ、お会計間違えてました?」
「いえ、そんなことはありません」
そう言うと、HiMERUは左手で髪をかき上げる。スマートな顔がより一層端正に見えた。
「天城は、あれでいて案外気弱な所のある男ですよね。椎名は苦労しているのだろうな、と少しだけ同情したのです」
小さく肩をすくめてそう言うと、HiMERUは呆れたような顔をしながら店を出ていった。
「ただいま~っす」
夜までのバイトを終え、ニキが帰宅すると玄関には派手な柄のかかとの潰れた靴が脱いであった。
「あ~、おかえり……」
床に寝転がってスマホを見ていたらしい燐音が、ニキが帰って来るとどこか落ち着かないように起き上がって座り直した。鞄を置いたニキが洗面所で手を洗っていると
「ちょっとコンビニ行ってくるわ」
という声がして、玄関のドアが閉まる音がした。
なんとなく気まずく、だけれどもほっとしたニキが条件反射のように冷蔵庫を開けると、そこには少しだけいい値段のするプリンが入っていて、そこにはぶっきらぼうな字ででかでかと「ニキ」と書かれていた。
昨日、ニキは単独のアイドル仕事があり、久々にものすごく疲れていたのだ。そして、家にあるとっておきの、茨からこの前もらったプリンを食べることだけを楽しみに倒れそうになりながら家に帰って来たのだ。それなのに
「えっ、燐音くん、それ……」
家に帰って来たニキの目に映ったのは、空の容器を持ってスプーンをくわえた燐音の姿だった。
「おー、なんか冷蔵庫に旨そうなのあったから食っといてやったぜ。燐音くんへの献上物だろ~? ニキきゅん、良い心がけだぜ」
そう言っていつものようにケラケラと燐音は笑ってみせたのだが。ニキの、あまりにもガッカリとした顔を見て次第にその笑い声は小さくなっていった。
「……んだぁ? ニキのもんは俺のもんだっていつも言ってるだろ?」
「ええ……そうっすよね。そんなに大事なもんを冷蔵庫に入れておいた僕が悪かったっす。僕の責任っす」
そうとだけ言うと、ニキは黙って服を脱ぎ、Tシャツとハーフパンツに着替えるとそのままベッドに潜り込んだ。我ながら大人げない、とも思ったが眠ることでしか解消できそうになかった。
いつもなら絡んできそうな燐音は何も言わずにシャワーを浴びに行った。気がつけばその間にニキは眠っており、起きた時には燐音は仕事に出かけていた。
名前の書かれたプリンを家に置いたまま、ニキは家を出てコンビニに向かった。しばらく行くと、暗い道の向こうから雨の日の子犬のような顔をした燐音が歩いてくるのが見えた。
「何買ってきたんすか?」
そうニキが声をかけると燐音は驚いたように顔を上げ、
「酒。と、アイス……」
と言ってニキに大きな袋を差し出した。どれを買えばいいのかわからなかったのだろうか。そこにはビールやハイボールに交じって、最寄りのコンビニで見たことのあるアイスが全種入っていた。
「……まったく、これで僕の機嫌が取れると思ったんすか?」
そう言ってニキがじいっと燐音の方を見ると、燐音は母親に叱られた少年のように困った顔をして。
その顔があまりにも情けなくて可愛かったので、ニキは思わず吹き出してしまった。袋から二人で分け合えるタイプのアイスを取り出すと、片方を自分の口に入れ、もう片方を燐音の口へ突っ込む。
「まぁ、しょうがないから今回だけは機嫌、取られてあげてもいいっすけどね」
そう言うと、コンビニの袋を持ったまま家へと歩き出した。
「……は、チョーシのんなよ、ニキきゅんのクセによぉ! たまにちょーっと優しくしてやるとすぐにつけ上がりやがる」
その後ろからついて行く燐音は、そう言ってニキの尻を蹴り飛ばした。その顔は、今にも泣きだしそうな嬉しそうな顔をしていた。
