出会ってすぐのクリスマスのお話です
春白についてはこちらにまとまっています。
麗蘭にはクリスマスに楽しい思い出など一つもなかった。それは祖母にとっては年末の忙しい一日でしかなかったし、母にとっては「彼氏」と過ごす大切な一日で、麗蘭と家で一緒に過ごしてくれたことなんてただの一度もなかった。
唯一、高校を卒業すると同時に家を出た叔父が、祖母の家で留守番をする麗蘭にケーキを買ってきてくれたのは、いつのことだっただろうか。
「美味いか」
サンタクロースの乗ったケーキを黙々とケーキを食べる麗蘭に、叔父はレンジで温めた牛乳を出しながら言った。
「うん、美味しい。にぃのケーキは?」
「俺はいいよ、甘いのそんなに得意じゃないし」
そう言って叔父は麗蘭にホットミルクを渡すとフォークを受け取取り、端の方を少しだけすくって口に入れた。
「甘い」
「甘いよ、だから美味しいんだよ」
「そういうもんか」
そう言うと叔父は溜息をついて家の中を見回す。相変わらず、片付いてはいるが一切の飾り気の無い寂しい家だった。
「雪乃は元気」
「知らない。最近会ってないから」
この時期は特に人肌が恋しくなるのだろうか。冬になると男を連れ込むことの増える母はその時期麗蘭を家に寄せ付けなかったため、越冬は祖母宅でするのが麗蘭にとっての「いつもの冬」だった。
「母さんは。相変わらず仕事仕事なの」
「うん。多分もうすぐ帰って来るよ。今日はそんなに遅くならないはずって言ってたし」
近所の総合病院で看護師をしている祖母は、クリスマスだからと言ってチキンやケーキを出してきたことは無い。おそらく今日も、昨日の煮物の残りと帰宅した後に手早く作る炒め物か何かだろう。
「ならそろそろ帰るよ。れい、元気でな。背だけじゃなくて体重も増やすんだぞ」
「にぃ、もう行っちゃうの」
スタスタと玄関へ向かう叔父の後を、口の周りにクリームを付けた麗蘭がついて行く。叔父にはまだ及ばないが同じ学年の女子と比べるとその背はだいぶ高かった。骨の目立つ体つきは祖母によく似ていて、やわらかく女性的な体つきの母とは顔も体格も全く似ていない。
「よいお年を」
大人に言うみたいなことを言って麗蘭の頭を一つ撫でると、叔父は静かに家を去っていった。いつものように何も音のしなくなった居間に戻り、残っていたケーキを食べる。あんなに甘くておいしかったはずのケーキは甘くなかったし、暖かかったはずのミルクもずいぶんぬるくなっていた。
「おいしい、なぁ」
そう無理やり口にしてみたところで、ケーキもミルクもちっとも美味しくならなかった。
「ケーキいかがですかぁ~」
「今なら明日のクリスマスライブのサイン入りチケット付きもありま~す!!」
年末の寒空の下、やけに明るい声を出す少女達がライブハウスの前にある臨時の出店で売り子をしている。その格好はサンタ、トナカイ、ツリーと様々であり一応上着は羽織らせてもらっているものの、短いスカートから伸びる足はどれも小さく震えていた。
「寒い、寒い、寒~い! 背中のカイロ、ほぼ意味ない!!」
客に聞こえないぐらいの小さな声で、トナカイ少女が呟く。
「さっさと売って、早く帰りた~い。なんであたし達がこんなことまでしなきゃいけないの?」
ツリーの少女も、胸の前で手を擦り合わせながら愚痴をこぼした。二人は麗蘭と同じアイドルグループに所属する少女達で、麗蘭より歳は若いがアイドル歴は長い。この仕事は先日、ライブハウスのオーナーから麗蘭達のグループが直々に頼まれた仕事だった。
「ほら、近くにケーキ屋あるだろ。あそこケーキの売れ行きが今年はどうもイマイチなんだとさ。俺らみたいな仕事はな、地域密着、持ちつ持たれつが大事なワケ。お前らが『外でのケーキの売り子、手伝わせて下さい♡』って言ってちょちょっと売上アップのお手伝いをすれば、普段うちの客たちがちょ~っとそこらでマナーが悪いことをしても、あの時はお世話になったしなって地域の店の皆さんも多少は許してくれるようになるってもんなのよ。わかる? あっちは売上アップ、お前らはライブのチケットも売る機会がもらえるんだし、ありがたいだろ?」
そう言ってオーナーはじっとりとした目で麗蘭達を見た。麗蘭達のグループはお世辞にも上り調子とは言えず、その中でも後列メンである麗蘭やその近くにいるメンバー達は自客チケットがほとんど売れていない。
「……わかりました、やります」
どうせメンバーの中から絶対に何人かは出なければいけないことになるのだ。去年も同じような理由を並べられて売り子に駆り出されたので半ばあきらめ気味に麗蘭がそう言うと、オーナーは嬉しそうにからからと笑った。
「れいはそう言ってくれると思ってたぜ、お前にピッタリの衣装も用意しとくから楽しみにしてろよ!!」
この人がそういう時はどうせロクでもないことになるんだと思っていたが、果たしてそれはその通りであった。
「は~、それにしてもれいってほーんと胸おっきいよね」
「ほんと、何食べたらこんなおっきくなったの?」
「ちょ、やめて下さい」
胸元の大きく開いたサンタ衣装を身に付けた麗蘭の胸を二人が無遠慮に触ってこようとしたものだから、麗蘭は思わず上着の前を閉じた。
「あ~、オーナーから前は閉じるなって言われてるじゃん」
「そうだよ、それでしっかり売って来いって言われてたじゃん」
「……それは、ちゃんとわかってますけど」
そう言うと、麗蘭は渋々上着の前を開けた。サンタ服に無理に閉じ込められた胸は窮屈そうで、その存在感がより一層強調されていた。
「は~、これ何カップあるの」
「アイドルって痩せてないとオタクがうるさいじゃん? なのにダイエットすると胸から痩せて困ってんのに、マジ嫌味」
「ほんとそれ」
勝手なことをつぶやきつつ、少女達は客になりそうな男が通り過ぎると「こんにちは~、ケーキ買って下さーい♡」と営業スマイルを忘れない。
「お前を採用したのはうちのグループにノッポと巨乳枠がいなかったからだ」
グループに入ってすぐに麗蘭は運営陣の一人にそう言い渡されており、実際それは本当なのだろうと思った。そうでもなければ若くも可愛らしくもない自分が選んでもらえる訳がない。そうはわかっていても、麗蘭はやはり悔しかった。歌やダンスで誰かに何かを与えられたらと思ってこの業界に飛び込んでみたものの、実際それらによる手ごたえよりも肉体的特徴でなんとか細々綱渡りをしているというのが今の現状なのだ。
せめて、もう少し顔が可愛らしかったらこの体にも自信が持てるのかな。隣りの二人の、愛らしいキラキラメイクの乗った顔を見ながらそう思った。本当はフリルや可愛らしいものに憧れるがどうやったってそれらは自分には似合わなくて、なんとか「綺麗めメイク」と呼ばれるらしいものでそれなりっぽく誤魔化してステージに立っている。祖母によく似た切れ長の一重の目も、運営に無理やり出すよう言われている広いおでこも、身長と共にすくすく育ってしまった胸も、どれもこれもが好きになれなかった。
「ケーキ、いかがですか」
すぐ傍を通る人にも届かなそうな声で、麗蘭が呼びかける。三人の売り子の中でも麗蘭の売り上げは一番低く、おそらくこのままだと去年と同じく『売れ残ってもケーキ屋さんも困るよなぁ?』と圧をかけられ、ホールのケーキを買い取らされることだろう。そうなれば麗蘭にとっては赤字もいいところなのだが、結局いつもこういう貧乏くじは自分が引くことになっているのだ。半ばはじめからそれを受け入れているので、もはやこの寒い時間が少しでも早く過ぎてくれるのを祈るだけというのが正直なところだった。
今、何時かなぁ。そう思いながら赤くなった鼻をスンと鳴らしてケーキの在庫数を再確認しようとした時だった。
「あっ、ちょっと、あれってさぁ」
トナカイ少女が今日一番の小声で呟く。
「わ、たまにハウスにいる『怖い人』じゃん」
そうコソコソ話す二人の目線の先を追っていくと、道の向こうの方からゆらりと煙草をふかした男が歩いてくるのがわかった。薄いけど仕立ての良さそうなコートは暖かそうで、申し訳程度に与えられた麗蘭達の上着とは明らかに値段が違うのが遠目でもわかる。
「え、やばいやばい。なんかこっち来てない?」
少女達がそう言ってさりげなく麗蘭を前に押し出すのと男が少女達の元に到着したのはちょうど同じぐらいのタイミングで。
「あっ……春日さん……」
麗蘭は軽く会釈しながら男に声をかけたが、男は何も言わずにほんの少し頷いただけだた。後ろにいた少女達は「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」と言うと男から逃れるようにそそくさとライブハウスの中に入っていてしまう。しかたなく、麗蘭はもう一度男に声をかけた。
「お疲れさまです。ええと、オーナーなら中にいると思いますけど……」
ライブハウスに何か用なのかと思いそう話を振ったが相変わらず男は黙っていて、麗蘭は困ってしまった。ひょんなことから少し前に言葉を交わすようにはなったが、それ以上でもそれ以下でもない。常連のファンとだって会話を弾ませるのが得意とは言えない麗蘭にとって、関係性の薄い男性と会話をし続けるというのは至難の業だった。
(それにこの格好見られるの、恥ずかしいし……)
普段だって麗蘭は胸元を強調した衣装を着せられることが多いのだが今日の衣装はより一層そこに目が行くものになっており、別に男がそこを見ている訳じゃないとはわかっていてもなんとなく落ち着かない。何より、あたまにちょこんと乗せられたサンタ帽が自分には全く似合わない可愛らしいもので、その姿を知り合いに見られるのが最高に恥ずかしいのだ。
どうしよう、あの子達、早く帰ってきてくれないかな。そう思っていた時だった。
「……くれ」
「え?」
「一つくれ。その、ホールのやつだ」

右手で煙草を抑えたまま、男がそう呟いた。一瞬何を言われているのかわからなかったが、ケーキをくれといわれているという事に気がつく。
「ええと、普通の生クリームのとチョコのがありますけど。支払いは後でオーナーに頼んでおきますね」
てっきり仕事で必要なのだろうと思いそう声をかけると男は不思議そうな顔をしたが
「味はあんたが好きな方でいい。金は払う」
そう言って胸ポケットから財布を出してきたので思わず麗蘭はそれを制止した。
「あっ、あの……気を遣っていただかなくてほんと大丈夫ですので、ありがとうございます……」
そう言うと麗蘭はぺこぺこと、申し訳なさそうに頭を下げた。おそらく、この前世話になったお礼にハンカチを渡したので、そのお返しのつもりで売れ行きの悪そうな麗蘭からケーキを買ってくれようとしているのだろう。男は一見怖そうな風貌をしているが意外と優しく義理堅い部分もあるというのは麗蘭にもなんとなくわかっていたが、ハンカチとケーキでは値段が全然釣り合わない。
「いいから、これで足りるか」
そう言って一番大きな札を置かれたので仕方なくお釣りを返し、一番小さくて値段の安いホールケーキの箱を手に取る。
「生ものですので、今日のうちに召し上がって下さいね」
そう言って麗蘭が渡そうとしたが、男はポケットに手を入れたまま顎でケーキを指した。
「これ、あんたが食ってくれねえか。俺は甘いのは得意じゃねぇんだ」
「えっ」
言われて麗蘭は思わず言葉に詰まってしまった。麗蘭は割と甘いものは好きな方ではあったがさすがに一人でホールケーキは無理である。そもそも残ったケーキを確実に一つは買わされるだろうし、それだって何日かに分けて食べきらないとなと思っていたところなのだ。そこにさらにもう一つ増えるとなれば、年越しも蕎麦ではなくケーキを食べて過ごさねばならなくなるかもしれない。
(どうしよう、さすがに断ろうかな……)
そう思ってチラリと顔を上げると男はあい変わらず厳めしい顔をして突っ立っていたがそのサングラスの奥がどこか困った表情をしているような気もして、そうなると麗蘭には断るなんてことはとてもできなかった。
「……ありががとう、ございます。甘いもの、好きなので嬉しいです」
上手く出来ているかはわからないがにっこり笑って見せると、男はほっとしたような顔で頷いてから冬の街の中にまた静かに去っていった。
(ケーキって、冷凍できたような気もするなぁ)
小さくなっていく男の後姿を眺めながら、麗蘭は昔ネットでそんな記事を読んだのを思い出していた。
「にぃも、どっかでケーキ食べてるのかな」
男の人にケーキ買ってもらったの、人生で二度目だなぁと思いながら麗蘭は薄曇りの空を見上げた。
そして、どこかの空の下で母も男と二人、ケーキでも食べているのだろうか。ふと湧いた想いを追い出すかのように小さく頭を振ると気を取り直し
「ケーキ、いかがですかー」
麗蘭は道行く人々に、精一杯の声を張り上げた。
イラスト:さおやんさん 文:のざき
