付き合って数年後の白田さんの誕生日のお話です。
春白についてはこちらにまとまっています。
ちなみに白田さんのお誕生日はいつかと言うと、5/23です。
月: 2021年5月
結局「『見たいもの』しか見えない」んだよなぁ、という話
最近読んでる本に「なりたい人物像」になることができてからそのように振る舞うんじゃ無くて、「今この瞬間からなりたい姿として振る舞うことで、それが『自分』になってくる」みたいなことが書いてあったんですよね。
なるほど、と思ったんですよ。よくあるじゃないですか、「初めは恋人の振りしてるだけだったのに、気がついたらほんとに好きになっちゃってた--☆」ってやつ。私も大好きなアレ。
まず先に「前提(恋人同士)」を持ってくることによって、「結果(なんだか全てが愛しく見えてくる)」がついてくるってことなのかなぁと思ったんですよね。
なんか、それとは全然違うかもしれないんですけど、ふと「推しカプが推しカプらしく(左右がそのように)見えるのも『この二人はAB』だ」という前提でその二人を見てるから全てがそう見えるのかな~と思ったんですよね。
もちろん初めに「あれ、この二人ってABじゃない?」と思うのには何かきっかけがある訳ですが、その後は「こうだからAB」というよりは「AB前提で見てるから何を見てもそう感じる」のかなぁと…
そしていわゆる「推しカプ」って、あくまで「私には世界がそう見えた、そうだといいなと感じた」というだけの話なのかもなぁ…と思いました。少なくとも私にとってはそうだなぁと思います。いわゆる「解釈」がガチガチにあるわけではなく、願望の反映。。。
関係性が明言されていない架空の人物達に対しては我々は好き勝手「あの二人はABに違いない」と言えるわけですが、もしも作者自身から「いえ、あの二人はBAですよ」と言われた場合、人はそれをどう受け入れているんでしょうかねぇ。公式で男女カプが成り立っているものとか、人々はどう折り合いをつけてきたもんなんでしょうか…
男性同士のカプに浪漫を感じることに関しては日が浅い私は、その辺りが体感としてはわからないのでした。
まぁこんなことは今更目新しい話でもないので改めてする程のことでも無いわけですが、ここは「自宅」なので「最近そんなことを考えた」という記録として記しておきます。おしまい。
